学校で教えない魚の運動能力…自選エッセイ集より【10】
◇空飛ぶマンボウ
この連載の4番目で、マンボウのことを書いたことがある。そこで、フックアップと同時に四百メートル急潜行されて、ラインが切れたと話した。後日、読者から、それ、水圧で死んだのでは、という意見があった。
実は、私も同じ理由で、少々不安だったのだ。水圧は、たった十メートルで、石油缶をペチャンコにした映像を見たことがあり、まして、深海魚を急に釣り上げると、ほぼ瀕死の状態である。
ラインから伝わってきた感触では、元気であったように思えるのだが、それを証明する術がなかった。
ところが、この数年、主に海外の研究者グループが、マンボウの生態を解明しつつあった。その一端を、NHKで見たのだが、水中撮影と発信器を付けての追跡調査という、かなり大がかりなものだった。
そこには、私の知る、あのマンボウがいた。ほとんど、イメージ通り、のんびり漂っているのだが、気が向くと素早いどころか、助走を付けて完全に海面上にジャンプまでしたのである。さらに、研究者を驚かせたのが、たまに、発信器が落ちてしまったかのように、深海に消えてゆくことだったのだ。クラゲだけではなく、オキアミも食っていることからも、マンボウにとって何百メートルもの深海にゆくことは、日常だったのである。
これを見て、私の不安はようやく払拭されたわけだ。
◇百二十キロで走る魚
マグロ類についても確認しておきたいことがある。学者や本によって諸説あるそうだが、クロマグロは、最高時速百六十キロに達するという。
これ、実際に計ったのだろうか。確かに、その運動能力や抵抗を減らすためにヒレを格納できる体表の機能は、驚異であるが、私はまだ、百六十キロで泳ぐ魚は見たことがないので、なかなか信じられないのだ。
カジキも七本の経験しかないが、リールから飛び出るラインを見ていても、百キロにも達していないように思えた。
百六十キロと言えば、空気中の高速道路でもバカな奴しか出さないスピードだ。この時、フロントガラスに昆虫のカナブンがぶつかると、ガラスに割れんばかりの衝撃を受ける。本当にマグロが百六十キロで泳いでいる場合、海中にはゴミひとつ無いことを祈るばかりだ。
また、前進を阻む海水中の抵抗は、凄まじいはずだ。遙かに密度の薄い空気中でさえ、計算上、抵抗は、百キロから百五十キロになったとき、ほぼ二倍になり、二百キロだと四倍になる。
六百馬力の市販型のレースカーが、何故三百キロ近辺しかスピードを出せないかというと、この時、空気抵抗の力は、三トンとかの力となって、推進力を上回り、小型トラックを押して走るようなものだからだ。
まして海水中である。その昔、水上スキーをやったとき、倒れて人間ポッパー化した後、海中に突っ込みかけたが、とてもじゃないがバーを持っていられなかった。また、自分の作ったルアーが、どれくらいの高速に耐えられるか、パワーボートでトローリングしたら、最高速に達する前に、抵抗でドラグが滑って、計測できなかった。
というわけで、私の限られた見識からすると、いくらマグロでも、最高速は百二十キロぐらいと思えてならないのだ。しかし、それでもスゴイスピードであることには変わりない。
そして、これらのことから、何百キロのマグロをライトなルアータックルで釣り上げる方法が見えてくる。
海水の抵抗をものともせずに、突進する彼らをドラグ十キロテンションとかで止めることは無理がある。自分で止めたと思っても、実は彼らが止まりたかったからにすぎない。止めるには、彼らの運動能力を支える要素そのものを潰した方が、遙かに効果があるだろう。
それは、車で言えば、空力性能を表すCD値や前面投影面積といったものだ。ヒレさえ畳むことを要求するパーフェクトな姿形であるだけに、これをちょっと破綻させただけで、彼らの推進力とスタミナに大ダメージを与えることができる。 簡単だ。できるだけ大型のプラグ、それもポッパーのようなルアーで釣ればよいのである。それが、ドンブリぐらいのカップを持つのなら、さらにいい。口にくわえたとき、全方向から抵抗を食らう幾つものカップや抵抗板が付いていてもよいだろう。
もしも私が一本釣り漁師で、どうしても歯が立たない四百キロのマグロを捕ろうと、作戦を練るとしたら、何かしらの形で、ヒットと同時に小型の水中パラシュートでも開くようにする。それは、直径三十センチもあれば充分かもしれない。百キロで海中を走ったとき、バケツ状のものが受ける抵抗は、ドラグとは桁の違う力となる。(これを見て、本当にパラシュートを使ったり、開く抵抗板など付けないで欲しい。せめて、ルアーデザインと大きさで工夫したい。釣れれば勝ちという裏技はイヤというほど見てきた。我々の釣りは、禁じ手があるからこそ楽しめる。) ◇浅い磯場を駆ける魚
もうひとつ、讃えるべき魚の運動能力がある。あれは、インド洋のラクシャディープというところの、離れ小島でのことだ。それまで、ルアーなどが泳いだことのない、原始のままの荒々しいリーフがあった。
膝下ぐらいの水深だから、白波の合間には複雑な地形の底が露出する。なんと、その中で全身を蛍光コバルトブルーに輝かせて、五十センチ程のカスミアジが、縦横に走り回っていた。そして、白波に乗って、紫色の大エイが二匹、こちらに向かってサーフィンしてくるではないか。私はそれから逃げるとき、ケブラーのウェーディングシューズがリーフに触れて裂けてしまった。それぐらいトゲトゲしい場所なのだ。
魚の視力とか、聴覚を本で調べると、近視であるとか、可聴領域は狭いとか、意外に個別の能力は低いようである。ただ、それだと魚全般の能力の説明がつきずらいから、側線の働きが、それらを相当補っているとされている。詳しくはその筋の本を読んで貰うとしても、いったい、あの複雑な地形を縫って超高速で駆け抜ける能力は、どんな運動神経を備えていたら可能なのだろう。
考えてみると、(学術的には根拠がないが)本来、上下ですら見失いかねない世界の中で、定位するだけでもたいしたものだ。それは、脊椎の中の耳石が、体液に浮いた状態であることと無関係ではあるまい。そして、彼らの能力は、体全体が全て濡れているという根本にささえられているのではないか。
人間でも、感覚器官の目や鼻や口などは、鋭敏であるために濡れていないとならない。魚は、元々、生物の体液に近い海水という外界と、ダイレクトに繋がって一体なのだ。だから異物である岩と激突することがないし、群れは練習も無しで、同時に方向を変えることができる。
そういえば、一匹のヒラスズキのことを思い出した。彼らも浅い磯では、なかなかのパフォーマンスを見せてくれる。 かつて、波と共に岩棚を越えようとしたのだが、波が思いのほか早く引いて、岩上に取り残されてしまった奴がいた。数秒ジタバタしていたが、痛いせいか、すぐに静かに横たわり、次の波で帰っていった。ちょっと間抜けに見えた。
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2002年9月に岳洋社さんの「SW」に掲載されました。付けた写真はもちろん合成ですが、見たとおり私はカジキを一匹コロシています。その後はすべてリリースできました。下の写真は合成ではありません(^o^)。
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