流体の非科学…自選エッセイ集より【18】

SW,岳洋社

購入したルアーの動きを、まず自宅の風呂場で確かめた人も多いだろう。これが自分でルアー製作までする人であれば、プラグと一緒に風呂に入って小一時間過ごしたことも一度ならずあるはずだ。
大人がオモチャに興じるようにルアーと入浴している様は、どう見ても頂けないが、こんな時にこそ、アイデアが閃いたり、様々な思いが駆け巡るものなのだ。 だから私もつい長湯になって、のぼせて倒れかかったことも幾度かあった。
◇ルアーを知る
ルアーは水と空気という流体に関わるものだ。その二種の環境を等分に行き来して、時には八十度を超す車のトランクに押し込められ、直後に水で急激に冷却され、たまに生物に噛まれるばかりか、錨の代わりに使われて、地球との無謀な引っ張り合いを強要される。
さらに、投入して着水までは尾部を先頭に空気を切り裂いて、安定した高速移動を要求され、水中では進行方向を反転し、頭部を先頭に今度は適度にバランスを崩しながら振動していなくてはならない。それも一度どころか一生同じサイクルを繰り返せる根性まで試される。
ルアーは古くから在る物だから、これらの性質は、今なら誰も驚かない。しかし、もしもルアーを知らない人に、物理の課題として前記のような物体を作りなさいと言えば、途方に暮れるに違いない。空気と水、安定と振動、進行方向の逆転といった二律背反を含む難題になる。
我々がその難問を何気なくクリアーして、ルアーを作ってこれたのは、やはり先行した人々のモデルを参考にできたからだろう。物理法則や流体力学など知らなくても、大体このようにすれば、こうなるという単純さも併せ持っているのがルアーだからだ。
ただ、そこは知らないで作るのと、知って作るのとでは、少なくとも作り手の満足度という点では大きな隔たりがある。もちろん私は、空気と水とルアーの関係について、もっと知りたいと願ったほうである。
◇ある実験
空気のほうは、我々が日常で正にその中で生活しているわけだから、知り抜いているようにも思えるが、流体であることから動いた時にその性質は一変する。ルアーにとっての空気を知り、また体感するには自分がルアーになってみなければならない。
思い出すのは、かってルアーの飛距離について模索していたときにある実験をしたことだ。それまでに、水のほうは知人の大学の流水漕で実験したことがあるが、さすがにルアーごときでまともな風洞実験させてくれるところはない。
そこで、ルアーを横から細い棒で串刺しにしたものを用意して、高速、イヤ専用道路で車の窓からルアーを出して空気抵抗による影響を調べることにした。主な目的は、一見して抵抗のない形では能がないから、ルアーらしい形でも安定が可能かどうか、また表面処理による抵抗の違いを知ることだった。
この実験は、やってみると風洞より優れた点がある。細い棒を指で持っているため指先という高性能のセンサーによって微妙な違いを感じ取ることができた。 これによって、幾つかの未知の現象を体感することになり、その解決のために流体力学などに頼ってもみた。しかし、私の望む具体的な知識は残念ながらそこには無かった。当時の世の中では、風洞実験をしたであろう地を這うはずのワークスのレースカーが空を飛んだり、F1のデザインも形が定まっていなかった。まだ発展途上の学問なのだった。
そもそも、流体に関するシミュレーションというのは、現在のスーパーコンピューターをもってしても、扱うデータ量が多すぎて、満足な成果を得られないそうだ。長期の天気予報が信頼性に欠けるのも何種類もの流体が関わるからだ。
◇実験から
あの実験以来、私の設計したルアーは二種を除いて、ほとんど頭部を細く絞った形を採用している。カルマン渦という進行方向の後ろに発生する渦を巻く乱流を防ぐためだ。これは、水中ではルアーの泳ぎの原動力ともなっているが、空中では失速に結び付きやすい。ちなみに十年前のFショーには、ゴルフボールのようにディンプル処理したリプルポッパーを発表したのだが、ホワイトに塗ったせいか、笑いは取れたが、今ひとつ不評だった。
カルマン渦というのは案外身近な現象で、ロッドを振った時のブンッという音も、風のある日に魚を釣るとラインがヒューッと鳴くのも、このカルマン渦によって振動するからだ。また、ロッドを水中に突き刺して高速で水を切れば、横方向の振動を感じるだろう。ルアーでなくとも泳ぐという現象は起きる。
そして、飛距離を邪魔する空気抵抗は、ルアー前後の圧力抵抗と表面の摩擦抵抗だから、進行方向後部(ルアー頭部)の乱流も、今までは無いほうが良いと思っていた。しかし最近はそれを少し改め、適度な乱流による抵抗は安定を促す矢尻の代用としても使えるということが解ってきた。
ルアーは、車や飛行機と違って、ラインとフックが付いてまわるので、形による空気抵抗の低減だけでは収まらないところがある。
そこで作ったのがリップレスのTKLM90であり、リップが横に開いたTKF130などなのだ。いずれも重さだけに頼らず、1グラム単位としての飛距離は群を抜いている。
◇試行錯誤
スキーやスノボの滑走面はツルツルより細かい筋を付けたほうが滑りが良いし、最新の競泳水着もわざわざ小さな突起を付けていることから、表面の摩擦抵抗を下げるリブ加工も試してみた。これはコーティングで埋まってしまうため、思ったほどの効果は得られなかった。ただ、魚の鱗は、もしかしたら高速で泳ぐ時には積極的に毛羽立たせるなどの変化を見せるのではないか、という疑問も湧いた。
その他、物理法則をルアーに応用できそうなものは、整流のためのディフューザーやストレーキ、コアンダ効果を狙った造形などがあるが、いずれも私の求めるシンプルな形のルアーから遠ざかってしまうのだった。
◇補足
ルアーの動きというのは、何処に乱流を作ってバランスを崩すかということなので、色々な形式が考えられる。
リップがあれば、その後方には強い乱流ができ、一番泳がせやすいが、リップを取り除いてペンシル風にしたBKF115、140ミノーなども良く泳ぐ。
これは頭部に水受け面のあるリップレスタイプのミノー達とは、泳ぎの原理が少し違う。要は翼の断面のように背面、腹面の外郭ラインの長さを変え、湾曲させたことによる揚力と、頭部のなだらかなカーブで得られる潜行する力を対抗させたからである。上がろうとする力と下がろうとする力が無理をするので、耐えきれずバランスを崩す。つまり泳ぐということだ。また、いかにも泳ぎそうな形のスプーンはともかく、Pボーイのような真っ直ぐなジグが泳ぐのもこれに似た理由による。
◇風呂場にて
TKR130Hと、130Mは先の点で面白いルアーなのだ。様々な原理を応用しているので、リップの無い一見ペンシル風の130Hがミノーであり、大きめのリップが付いた130Mは高速になるにつれてジャイロの働きで泳ぐことを止める。これは一番長い時間、入浴のお供として付き合った仲なのだ。
海の現場では出来ないことも、狭い風呂場でこそ可能なこともある。自宅の風呂場には、魚の口に似せてペットボトルで作った負圧発生装置や数十本のプラグを常備してある。当分片付ける予定はない。
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2004年7月、岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。この時は、風洞実験の代わりに車を利用する、とありますが、その後オープンカーにして、より効果的な方法になりました。
今、熟成させているK2Fの姿は、風速を可能な限り上げて(数値は、事情で書けません(^o^))シェイプしたものです。

Posted by nino