リスクについて…自選エッセイ集より【17】
「スポーツは健康を害する」とかいう説を唱える学者の意見がマスコミを賑わしたことがあった。曰く、スポーツを日常的に行う者の平均寿命は、そうでない者と比較して短い云々、とかいうものだった。
統計を取れば、そうなるらしい。スポーツ選手の例を取り上げて説明されれば、一般人の我々以上に骨折や身体の故障が多いのは当然であろう。長生きしたければ、散歩と健康体操ぐらいにとどめておいた方がいいそうだ。
そうした説にも一理あるが、時々巷間に現れる健康に関する説には失笑を買うものがある。
タバコを一本吸う度に破壊されるビタミンの数は何㍉㌘で、脳細胞は何千個ずつ減り続ける、などとあった。
計算してみると、私の身体の中のビタミンCはとうに枯渇して、脳細胞は残り僅かということになる。
その他には、コーヒー、酒などを過飲し、寝不足等、習慣化すれば、それぞれ寿命が何年縮むとある。それらを全部足してみると、やはり私はとっくに死んでいるのであった。
そう言えば、心臓の鼓動数は一生涯でほぼ決まっていて、寿命の要因になっている、というのもあった。スポーツどころか、うっかり恋も出来ないということだ。
それらの説に異を唱える気はないが、人間はもっと総合的な生き物だ。健康だけでも、金だけでも、独りでも生きてはゆけぬ。
行動すれば、身体的リスクを伴うのは仕方のないことだ。
釣りでいえば、一番安全なのは、庭先の池で金魚を釣ることぐらいだろう。ちょっと遠くへ出掛ける釣りになると、車に轢かれたり、船が沈んだり、飛行機が落ちたり…、とリスクは増大してゆく。皆、何気なくも、結構覚悟の上で釣行しているのだ。
私はと言えば、さすがに飛行機が落ちたことは無いが、今にも落ちそうな飛行機には乗ったことがあり、現にその後、ニュースの中で落ちた。乗っていた船は沈み、バラフエダイの食あたりもあり、海に落ちたことは数えきれず、居眠りタクシーとの正面衝突や、よそ見の十トンダンプ二台に挟まれたこともあり、三階から落ちたことや、雪崩にバイクごと巻き込まれたこともあり、3/0のフックが伸びたほどのハリ傷も頭にある。
気が付けば、首上だけで四十針以上、縫っているではないか。
リスクの渦の中を、限りなくジャンケンで勝ち続けるような確率で、よくここまで生きてこれたものだ。たぶん、性格が慎重で臆病なせいだろう。
例えば、若かりし頃、山の経験を生かして看板屋でバイトしていたとき。四階まで伸びるハシゴで作業中、怖くて、もしここで落ちたらあの電線に掴まるしかないな、と思っていた。ほんの数分後、下を通るトラックが私の乗っているハシゴを引っ掛けて倒されたのだが、とっさに電線に飛び付いて難を逃れたことがある。電線は案外、強い。
また、地上3000メートルの北岳バットレスでは、頂上直下を登攀中、ニワカ豪雨を食らって墜落してしまった。
岩の縦溝にしっかり打ち込んであるはずのハーケン二つは、次々と抜けた。一度は岩に当たり、バウンドして、もうダメと思った瞬間、落下が止まった。三十メートルの落下衝撃で一時気を失ったが、しばらくして何とか登り直すと、何と其処には、あのハーケンが抜け掛かり、ぐらつきながらも一本で私の体を支えているではないか!
それは、何気なく横溝に挿しただけの二百五十円の安物ハーケンであった。横溝であるので、垂直方向に力が加わっている限り抜けなかったのだ。体勢を立て直して恐る恐る触れてみると、変形したそれは、スッと抜けた。安堵と恐怖で岸壁に張り付いたまま、奇跡に感謝したものだ。
あの時、岸壁途中でビバークした岩棚は、その後に崩落したと聞く。私は、既にこの世に存在しない場所で一泊したことになる…。
リスクには、精神的なダメージを含むものもある。それは、山でも海でも、しばしば起こり得る。
仲間と行動を共にするということは、いつか良からぬ事故もあり、互いに助けたり助けられたりということが起きるかもしれない。友情を深める場合もあれば、心に傷を負うこともある。
泳ぎに自信があれば、溺れている人がいれば大荒れの海でも飛び込めるだろうが、では気の荒れた鮫がウジャウジャいたらどうする?相手が恋人ならためらいもしないだろうが、たいていは躊躇する。 ギリギリのところは、山などで何例かあったので私個人の限界は知っている。そして情けないが、命懸けともなると、助ける相手が誰であろうと、その時々の精神状態によって勇気が出たり、出なかったりすることも知ってしまった。日頃の誓いとか、決心など、あまり関係ないのだった。
そうした精神状態というのは、例えば、映画でもいい、本でもいい、星空であってもいい、誰かとの語らいであってもいい、本人にとって何か感動出来たことの直後や最中のような状態である。そんな時は、案外、単純に命懸けに近いことができる。
あとは常に、ある程度のリスクに囲まれた生活をしている方が、いざというときに体が硬直しない。もうひとつは、後悔を前倒しで想像し、半ばヤケクソで突っ込むという手もある。さらにもうひとつは…これはよそう、人次第ということだ。
以上は、決して鮫のいる海へ飛び込む方法を書いたわけではない。かように、常にユウキある人でいられるのは難しいということだから、参考までに。
不意の状況で、どんな行動を起こせるかなんて、誰にも判らないのだから。
行動とリスクは表裏一体。それは変えようがない。ただし、ほんのちょっとしたことで、大幅にリスクは減る。
私が今までほぼ無事?でこられたのは、事前に辺りをよく観察して、準備を怠らなかったからだ。(その割にはよく落ちるネ。上の写真でも事前に裸で準備OK)結局、ごく当たり前のことをするしかなかったのだ。その僅かひとつのことが、あなたを救い、友を助ける。
それは、身体を鍛えることであったり、釣りをする前に波を見ている時間が人より長かったり、磯や堤防で落ちた時に、何処からなら上がれるかを見ておいたりすることだ。魚の取り込み場所もしかり。 たまに安全な所で、ウェットを着て海に飛び込んで、サラシに揉まれてみるのもいいだろう。また、ウエィダーで海に落ちるとどうなるか、知っておいた方が良い。
繰り返すが、リスクの渦に入ったとき、たったひとつの違いは、とてつもなく大きいのだ。
かって、80キロの怪我人を背負ってスキーで下山できた私の体力だが、予想以上に低下していた。この前、40キロの女性を背負っただけで腰がコワレた。 これではイカンと今シーズンから、程よくリスキーなスノーボードを始めた。ウーン、面白いが身体には悪いスポーツだ。ただ、大転倒して、捻れて、グキッと一発で数年来の腰痛が治ってしまった。逆ひねりでなくて良かった。
現在、私の負傷か所は、右膝靱帯と左肘靱帯など。二週間後に迫った海外遠征までに治さなくてはならない。
その前に、ヒラ釣行が二回とスノボの例会がある。
さて…。
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1999年5月に岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。……最近の磯ヒラスズキのシーンを見ていると、ウェットを着用している人がかなりいます。ウエーダーより何倍も安全だと思いますが、過信は禁物。今後はサメに注意してください。特に荒れ後のニゴリ潮では、やる気満々の奴を見かけます。沖に居るときと違って、悠長に背ビレなんか出していません。いきなりドカッときます。
また、足場の悪い所では6ミリ以上の必要分の長さのロープを持参しておくことをお勧めします。
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