その後

K2F122,K2F142,K2S122

東日本大震災からひと月経ちました。あらためて災害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。

今朝は自宅に近い海でも大きめの余震が頻発しており、せっかく片付けた部屋の小物がまた散乱してしまいました。
このひと月は震災に対して自分のできることはしたきたつもりですが、未だ先がありそうです。

仕事上全国に知人がいて、直接被災した方と話したりすると、私の居る場所の東と西では心情に大きな温度差があることが解ります。
被災地の友人からは、お互いの無事を喜んだ後、今は海の話題すら聞くのが苦痛だと言われ、途方に暮れました。
一方、西の友人からは早々と釣果報告などが寄せられ、気の沈んだ私を元気付けてくれました。西の元気が早く東に波及するようになって欲しいものです。

そして原発事故に対する私の認識は、先月16日から変わっていないのですが、今日、選挙が終わったタイミングで今更ながら事故レベルの評価が暫定7に引き上げられました。
被災当初、4としたのは誰かの思惑からなので根拠が薄く、ついに誤魔化しが効かなくなったということでしょう。
この間、このブログでも以前何回か取り上げたように、頭の良い人達が‘想定外’を多用し、平気で‘数値の分母のほうをいじる’ということを繰り返し見ました。放射線の安全基準値ですら、いつのまにか切り上げています。
毎日顔を見る、政府の‘弁護士’がやがてある裁判を見越したように言葉を選んでいるのは感心するばかりです。しかし、平時には際立つであろう姑息な言質は、有事に用いていけません。混乱を助長してしまいます。

海のこと
学者とは異なる視点から海を見てきた者のひとりとして、私が驚嘆したのは、この一ヶ月の風向です。
三寒四温の春としては奇跡とも言えるほど都合の良い方向に吹いていました。まるで国土国民を守るかのようにです。残念なことに水素爆発のあった日、水道水の汚染があった日など数日は例外ですが、それでも全体的に海側に風が流れていたのです。多量の放射性物質を含んだ風は海が受け止めていました。

それは確かに国土国民のためには好都合でしたが、私には汚れる一方の海を見つめながら、まるで人質を取られているかのように何もできず、辛かったです。
それに海洋の汚染濃度を東電が調べたのは事故後一週間も経ってからでした。事故後早い段階で160キロ離れた沖合に待機していた米空母はさっさと退避していたというのに。 後日分母のはっきりしない低濃度の汚染水を一万トン海に捨てる発想の元は‘量らなかった’あのとき、既にありました。

これからは海への影響も検証が進むでしょう。ここで予想を書くことは控えますが、何があっても私は海を離れる気はありません。付き合い方を変えるだけです。

タックルハウスは会社としてできることを今後も続行していきますが、私には何ができるのだろう?
黙っていようとも考えましたが、やはりこのブログがある以上、お知らせすることにしました。
ささやかなことですが、私が一本売れるごとにいただいているK2F142、K2F,S122の歩合分の全てを六ヶ月間、義援金とすることにしました。
会社の担当から直に日本赤十字か震災孤児支援関係に送金するようになっています。

(幸運にも震災に遭わずに済んだ皆さんが大いに釣りを楽しめますように。私ももうすぐ後を追います。)

Posted by nino