人工と自然

 この我が家に引っ越しして来たのは、初代K-TEN誕生の頃ですから随分経ちます。仮住まいと思っていたはずなのに、人生色々あって、どうやらこのまま定住することになりそうです。
 住めば都、近辺にはサーフ、磯、川、堤防と、ルアーテストに必要なシチュエーションに不足は無く、都会にいるよりは交通に掛ける時間、費用の節約ができ助かっています。
 
 引っ越しして来た当初、歩いて二、三分の所にある幅5メートル程の小さな川には魚がたくさん居たものです。
 それが暫くして治水工事が始まり、一挙に川幅が拡張されました。元々は幅5メートルで済んでいた水量だから、水深は極端に浅くなり、当然魚影も薄くなり、ガッカリしたものです。
 
 それが、この数年徐々に川らしい様相をそれなりに取り戻しつつあるように見えます。
 工事直後、平坦になった川底は、年に数度ある大雨や台風の影響で、掘られたり、干上がる場所が落ち着いて、此処なりに相応しい生態系を築き始めました。たまにですが、以前より型の良いフッコも入って来るようになりました。
 
 ただし釣りを考えると、農耕地区にある小河川には特有の問題があります。農繁期になると、雨が降れば増水するものという常識が通用しないのです。田畑に水を引く水路利用が優先されるので、水門次第で水深が上下するからです。
 自然の流れとは逆行することもあり、きっと我々以上に魚がビックリしていることでしょう。友人を釣りに誘い、行ってみたら前日にはあった水が全く無かったこともありました。
 
 このように自宅の近くに釣り場があると、その現場の変遷を目前にして気付くことも多いのですが、たまに行く遠くの釣り場ではそうはいきません。
 しかし全国の津々浦々でスケールの違いこそあれ同様の事は起こっているはずです。……
 釣り人のいう自然は、既にかなりの部分で人間の都合の影響下にあります。釣り人視点でざっと思い付くだけでも、堤防やテトラ、橋桁、海苔棚、護岸等、別目的で作られた人工物でありながら、同時に釣り座であり、絶好の魚の住処でもあることから、漠然と自然の一部であるかのように普段はその侵食を気にもしていません。
 純粋な自然景観からすると、これらすら容認出来ない方もいるでしょうが、長く漁師町の生活に根付いた構造物は自然に融け込んでいます。
 しかし、それらも人工物である以上、増えたり減ったりして様変わりするものです。
 
 例えば発電所の温排水に集まる魚達。これも定常運転では気付きませんでしたが、先の、遠くで原発事故があったとき全体的な発電量不足の影響が方々に波及して、他の発電所がフル稼働になり、その期間釣り場では悲喜交々がありました。
 ポイント周辺だけに目線が縛られていると、あの時何故爆釣したのか、あるいはダメだったのかを自然だけのせいにしてしまうところでした。
 また、堤防に沿って入れるテトラはともかく、沖に入れるテトラはその一帯の海流や砂の増減に及ぼす影響は大きく、もっと慎重に入れて欲しいものです。通い込んだあるサーフの砂の溜まり具合に異変があったとき、原因は数キロ離れた場所に入れた、たった50メートル幅のテトラであるかもしれないのです。
 
 そしてあの干潟も、広大な浅い砂場というだけでは第一級ポイントとは成り得ず、浅海を小舟が行き来するために掘った深めの航路があるが故でしょう。航路が埋まったときはポイント確定が難しく、数、型とも安定しませんでした。
 
 こうしたことを考えていると、釣り人としてツイ不遜な夢を見てしまいます。 その気になれば、かつて失った沿岸の釣り場を復活、もしくは創出することが可能ではないかと。
 もっともそのためには釣り人視点、釣りをやらない人の視点、漁師や現場で生活する人の視点から見て共存できるアイデアが必要になりますが…。
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東京のTさんから。
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痩せているけど、90オーバーでした。ルアーK2F142
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おめでとうございます。

Posted by nino