足跡のない砂浜で…自選エッセイ集より【13】‐S
砂浜のルアーフィッシングでは、ポイントが絞れないとき、しばしば浜の続く限り歩いてしまう。
ウエイダー姿で何キロも歩いていると、先行者の真新しい足跡を幾すじか見つけた。目で辿ると霞むような遠くに人影があった。
この足を引きずって、右へ左へフラフラと、立ち止まっては溜息をして、流木があれば腰掛けているのは、たぶんKさんだろう。そのうち、歩幅が乱れて、波打ち際のエグレの前で、後退りしてヒラメか何かをズリ上げた痕跡がある。
久々の大物かもしれない。足跡を辿って数キロ行くと、やはり、Kさんだった。大きなヒラメを掲げて笑っている。
月に二十日も通い込んでいると、その足跡さえ見れば誰が居るのか、そして釣れ具合まで一目瞭然だ。私のはと言えば、やたらと一服が多いのが特徴だろう。
ところで、砂浜に足跡は付きものだが、房総には足跡のない浜がある。
一キロしかないその浜を、最初に見たのは、見学のためヒラメ漁の船に乗っていたときのことだ。
三方を三十メートルの崖に囲まれて、何処からも入れそうにない。沖から見ると、辺りの浜は賑やかなのに、この浜は人っ子一人居ない。
今時、珍しいところもあったものだ。こんなにヒラメの漁場のそばなら、もしかしたら座布団大のヒラメが重なって居るかもしれない。
行くしかない。
地図を頼りに捜すと、なるほど、国道から離れていて標識もない。踏跡程度だが崖直下ルートと、山道のルートがあり、名もある浜だが、危険であるため名は伏せておこう。
山道から入ったとき、三十分かけて高台に出たら、なんと眼下に大きな鯨が一頭居て、たまげた。鯨ぐらい、沖ではけっこう見かけるが、これほど岸近くで見たことはない。鯨は確かに私に気付き、静かに沖へ遠ざかって行った。
これは、ルアーマンどころか餌釣り師も入っていないぞとばかり、一気に期待が高まって先を急いだものだ。
ここは、房総には少ないドン深の浜で、波が足元で急に立ち上がる。その力で、たまに大きな石が空中に飛び、私はこれで怪我をした。
背後は崖なので、幅はたったの十メートルしかない。満潮時に荒れていると、浜全体を波が被い足跡が消えて、浜の美しさが際立つ。砂質は、よく見ると七色の貝殻であり、サラサラと歩きづらい。 この砂質のせいか、崖から落ちてきた車ぐらいの岩が三日で砂に飲み込まれてしまった。この浜は何処か寂しく、怖い。
肝心の釣果のほうは、期待に反して、たいしたことはなかった。スズキの回遊はあるが、ヒラメは重なっておらず、釣れたものは小さかった。
あまり釣れないが、それでも私はこの浜が好きだ。何処を見ても人工物は一つとして無く、異国風の景観に情緒がある。 浜は千変万化で、そのルアー釣りにも、磯とは別の奥深さがある。ただ、それに気付かないと飽きやすい釣りでもある。その助けになるのが、このフィールドの魅力だ。
いつか、再び日本各地を巡り、地元でも知られていないような浜を探して、ルアーを一投してみたいと思う。
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1995年11月に(株)週間釣りニュースさんの発行する媒体に掲載されたものです。ここに書いた浜の砂が綺麗なので、ひとつまみ瓶に入れて部屋に飾ってあります。鯨のシーンは、今も忘れられないです。何であそこにいたんだろう?
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