衛星から…自選エッセイ集より【11】
我が愛車が、また海に落ちている。と言ってもナビゲーション画面の中でのことだ。個人向け市販第何号とかの、古い機種なので今のナビにあるような補正機能が無く、百メートルぐらいは走行中の道からズレてしまう。
東京湾横断道を走ると、当時は無かった道のせいか、自車位置がアタフタと機械らしからぬ動きを見せて愉快だ。都会ではビル群に衛星電波が遮られて用をなさない。
何故、まだこんなナビを使っているかというと、完璧な盗難防止機能を備えているからだ。ある駐車場でナビなどの盗難事件があったときも、私のオープンカーだけは無事だった。流石に手慣れた泥棒の目は確かだ。
また、こんなナビでもビル群の無い、見知らぬ土地であれば迷うことはない。その代わり、ナビの無い時代にはあった、旅中の思わぬめぐり逢いや、ハプニングも無くなった。たいてい、目的地に最短で着く。
◇遭難
衛星といえば、船舶用のGPSはかなり以前から普及していた。漁船、遊漁船とも外洋をテリトリーとすれば、欠かせない装備である。
港から漁場への往復。仕掛けた網の回収など。大昔なら方位磁石と太陽や星や風、遠くに見える陸地からの山立てに頼らなければならず、相当の経験を必要としただろう。今はGPSの扱いさえ知っていれば、年若い船長にも不安はない。 自船の位置を正確に知るという当然のことが、いかに重要かはGPSが壊れてみると良く解る。
ある真夏の曇り日、私たちはクルーザーに乗って、シイラの群れを探して沖をさまよっていた。三十六マイル沖あたりでGPSの故障に気付いた。陸地は見えず、四方の水平線の色に違いが見えない。 念のため、陸地寄りに進路を定めて、帰りながらシイラ釣りを続行したのだが、これがいけなかった。このような時に限って、海からシイラが湧いてくる。
いつものように、港への最短距離で帰れば余裕のあった燃料が底を尽きかけてきた。潮の動きや風の影響、それとシイラに誘われての非効率的な移動が災いしたこともあるが、なにより楽しいシイラ釣りの最中の時間が、実際の経過時間より短く感じられていたことに気付かなかったせいだ。
元々、電気系のトラブルで無線も使えない。一時は、たとえ漂流しようとルアーさえあれば、いずれボートに付くシイラでも釣って、飢えることはないだろうとか、うそぶいて焦りを隠していた。
その後、エンジンストールが起きかけた頃、なんとか港に辿り着けたのは、運良く陸向きに風が変わって、足りない燃料分を補ってくれたからだ。危うく、慢心による遭難として、世間を騒がせるところだった。
◇遭難2
ついでに、私は山でも二度ほど、自分のいる位置を把握出来なくなったことがある。一度は、上越の奥深い山々の中で、後七時間程歩けば麓に着くと承知していながら、何か物足りなくて、最短ルートを探してみようということになった。
鉈を片手に道無き道を進み、何度も獣道に騙されて、二日間彷徨った。方位磁石と地図さえあれば、何とかなると思ったのだが、山では標高が低くなるほど木々に邪魔される。自分の現在位置を知るためには、度々四方を見渡せる尾根まで登り直さねばならない。尾根の分岐や地形次第では、行きたい方向にすら行けぬ。最後には、危険な沢登りならぬ沢下りを強いられて、滝壺にも墜ちた。
全身ボロボロの風体でバス停のある小さな集落に辿り着いたとき、ここは何処なのか、聞いて驚いた。予定していた下山場所とは、なんと県の名前が違っていた。現在の携帯用のGPSを持っていれば、あり得ないような失敗だが、引き替えに得たものの大きさを、あの時、同行した仲間の誰もが忘れないだろう。
◇グーグルアース
インターネットの環境があれば、衛星写真を繋いだ電脳地球儀、グーグルアースを制限版ながら無料でダウンロードできる。検索サイトのグーグルから辿っていけば在る。
起動すると、まず宇宙にポッカリと浮かぶ地球が現れる。そこから、ほとんどマウスの操作だけで、地球上の何処の場所でもスーパーマンのごとく飛んでゆける。宇宙から見下ろすことも、上空数百メートルからの視点で斜めから俯瞰することも出来る。拡大、縮小、自由自在だ。
まだ地域によって、解像度にバラツキがあるものの、詳しいところでは車とトラックの区別はつく。スパイ映画で見たことのある映像だ。グランドキャニオンなど立体化されているところもある。そこでは任意の高度を飛ぶ、鳥になれるのだ。
自宅を探すと、数年前二メートル四方を白く塗った屋根が確認できた。そこから、かつて釣行したカボサンルーカスの座標を指定すると、始め、ゆっくり上空へ視点が遠ざかり、加速して、太平洋を一気に渡り、ハワイを越え、またゆっくりピンク色の砂浜に着陸するように視点が移る。目の前に当時泊まったホテルがある。この間、数秒。
このようなソフトが無料で公開される時代になったのだ。おそらく、衛星を持つ国の軍事筋には、これより遥に精度の高いシステムを既に構築してあることだろう。プライバシーがどうのという段階ではない。制限のある無料ソフトでも、こんなところまで見せていいの?という場所が幾つもある。
世界を隈無く見ようとすると、アメリカの政府や軍関係の施設にはモザイクが掛かっている。東京や、皇居は丸見えなのに、横須賀基地にはやはりモザイク。このソフトが内包する問題を、作り手も認めているということになる。今後モザイクは増え続けるはずだ。
グーグルアースを初めて見たときに、人それぞれの感想があるだろう。今は、それらを列挙する気にはなれないが、代わりに、これを使って、最近スズキが釣れた場所を正確に示してみよう。
北緯三十五度三十一、二十六、九。 西経百四十度二十七、六、十一。 私はここに、ルアーを打ち込んだところ、一匹のスズキに命中した。
正確な座標を指定出来るということは、ルアー以外の多くのものにも応用が利く。これの発展型のプログラムを行使できる立場の人間に、強い自制心があることを祈るばかりだ。
◇イメージ
釣り人がヒットポイントを知りたがるのは正直な欲求だと思う。それを多く持つ者に結果が現れてきた。情報や道具を駆使すれば、手っ取り早い方法は幾らでもある時代だ。それらの恩恵の享受をわざわざ避けるつもりはない。釣りにも色々ある。
ただ、スズキの陸からのルアー釣りというものは、他の漁獲方法に比べて、元々ストイックな部分がある。ボートも無く、魚探も無く、コマセを打たないから、魚から近づいて来るわけでもない。
一本のラインの先に、シンプルに一本のルアーを結んで、自然条件下で向こうから我々に近づいて来る時を待つ。足下には常に海岸線という、人ではなく、自然が決めた不可侵のボーダーがある。待ち合わせに失敗すれば、潔く帰らなければならない。最も制限のある釣りのひとつかもしれないが、自ら選んだ方法である。故に楽しい。
魚にとっては、凶器に違いないルアーだが、せめてイメージとしては、誘導ミサイルではなく、自らも痛みを伴う、剣であって欲しい。いつの時代も、便利、簡単というのは、人同士の結びつきや、思い出作りにおいては、敵である。
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2006年1月に岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。写真はカボサンルーカス。ピンクの砂が綺麗。魚もたくさん釣れてホテルも立派。でも私にはリゾートは似合わないです。
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