侵食
日曜夕刻のニュースで、海水浴場が砂浜の侵食等で閉鎖に追い込まれていると聞きました。今年は不況も手伝い全国で70数カ所になるそうです。
資料によると、海水浴場としての海岸以外に釣りの有名なポイントも目立ち、気になります。そして、侵食のスピードが速く対策が必要な所も、別個に70数カ所指定され、其処には我が家に近い海岸も含まれていました。
年寄りと話しても、昔はもっと砂浜が海に延びていたと言います。たった人間一世代分の時間で、遙かに大きいはずの自然の営みに異常な動きがあったことになります。
原因は主に大河川上流のダムによって、土砂が堰き止められてきたので、砂が補充されないからだと浸食に詳しい専門家が説明していました。また、対策としての消波ブロックは、それの入れ方によっては隣の海岸の侵食が進んでしまうこともあり、難しいのだそうです。
後数十年で消失と予想される砂浜もあり、恐ろしい話ですが、私はちょっとだけ別の事を期待してしまいました。岸からすぐドン深になると聞き、スズキが釣りやすくなるかも?と一瞬思ってしまったのです。しかしこれは不謹慎でした。本来あるべきはずの自然の姿を失うことは恒常的にはマイナスに働くことが多いからです。
砂浜といえば高校生の時、授業をサボってまで取った運転免許(校長もサボって同じ教習所にいたのでお咎め無し)が嬉しくて、友人を乗せて湘南へ初ドライブに行った時の事を思い出します。
記憶を辿った砂浜は広大なのですが、確かに最近見た其処は、ずいぶん小ぢんまりとした感じを受けます。子供の頃見た記憶の中にある景色は、大人になってからのそれよりも全体に大きく見えるのは心理的な錯覚もあると解釈していたので、正確な判断が出来なかったみたいです。
思春期に見た夜明けの砂浜は、感傷ゆえに大きく見えたわけではなく、本当に大きかったようです。
これから国政や自治体でも侵食に対策が練られると思いますが、我々釣り人にも出来ることがあります。
同じ砂浜に興味を持って通い続けられる人なんて滅多にいないから、その視点に立って写真や記録を残しておくことは、将来貴重な資料になるかもしれません。私は気付くのが遅れてしまい、説得力のある写真は撮っていませんでした。
たとえ公には役に立たなくても、何十年も経てば数夜の酒の肴にはなることを保証しましょう。
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写真は我が家から近い侵食されている海岸のひとつ。沖にあるのは消波ブロック。
ディスカッション
コメント一覧
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約一年前に発生した岩手、宮城内陸地震のせいで、今年は栗駒山の夏山開きは中止だそうですね。
アベシゲルさんは、実地を見ているということなので、「あるべきはずの自然」について語ることに慎重になるのは理解できます。
自然は美しくもありますが、ときに残酷で無慈悲という両極を見続けると、なんだ、やはり人間が求めているのは都合の良い自然だけなんだという、これまた極論に傾きがちになります。
しかし、大事なことは個々人は微力でも、それらの問題に関心を持ち、諦めないことだと思っています。
何十年も山や海を見て来ましたが、例えば尾瀬や東京湾は景観は失われたものの、私の子供の頃より水質や環境は綺麗になっています。(私個人の望んだ自然とは少し違うのですが)
全体的には人が増え、ゴミの排出も増えたのですが、それだけ関心を持つ人が各分野で増えたことの結果でしょう。
その前提になるものが、アベシゲルさんの言われる、守りたい、残したい「素敵な場所」を知ることだと思います。
ルアーマンも力は小さくても方向だけは見失わないでいたいですね。
アイデア、ぜひ聞かせて下さい。左欄に直通メールがあり、待ち合わせも可能です。
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「あるべきはずの自然」というのは解っているようで、なんだか解らない僕です。
解らなさにおいては、「本来の生態系」という言葉と同じくらいよく解っていないし、漠然としたイメージを持っていたとしても人とは違うようにも思います。
僕は仕事で栗駒山(昨年地震で多くの死者が出ました)に言っているのですが、山の形が地形図と大きく形が変わっています。目の当たりにすると戦慄を覚える風景です。
ヤマメの泳いでいた渓流は土砂で堰止め湖になり、砂防堤で溜まった泥と同じようになっている所もあります。
これも自然の作用です。
蟻塚やビーバーダムによって生活できなくなる生物がいますが、規模が小さいのでなんとなく良いようなイメージ(これは自然なんだ!)にとられているように思います。人間が行う改変は全てが悪なイメージです。もちろん殺意(またはトホホ)を覚えるものもあります。
圃場整備されていない田んぼのある里山は、人が手を加えている環境ですが、生き物が濃く生息し、多くの人が好感を持つ風景だと思います。
僕は、根拠もなく人の良さを信じています。
人がキモチイイと思える景色は多くの生き物にとっても良い場合がたくさんあり、人が生き続けることが出来る(絶滅しない)環境だと思っています。
地球を大きな生物だと捉える考え(哲学?)がありますが、長〜い歴史を持ち、これからも長〜い歴史を持つであろう地球にとって極表面で人が騒いでいるのは大した問題でもなく、一瞬の出来事なのかも知れません。
だから放っておけばいいとも思っていません。
何が言いたいか解らなくなってきました。すみません。それでも続けます。
人は、どんな環境が好きか、どうなると嫌か言うことは出来ます。
また、こんな素敵な場所がある発表(自慢)することが出来ます。
何かでその場所を知ることが出来れば、なぜ自分行っている場所は違うんだと疑問に思うことが出来ます。そして1mmでも素敵な場所にするにはどうすればいいか考えることも出来ます。実行に移すことが出来る人もいるかも知れません。
釣れようが釣れまいが、雨が降ろうが、仕事が忙しかろうが、彼女とうまくいかなくっても、釣り人は釣り場に向かいます。
エキスパートもベテランも初心者でも、釣り人が釣り場に関して出来ることはあると思います。
ちょっとアイデアあります。海と釣りを知る二宮さんに機会があれば聞いていただけたらと思っています
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わだんなさん、同感です。
サーフと30年以上向き合ってきた、わだんなさんには、私以上に現状がよく見えていることと思います。
旧道が先人の知恵という話を聞くと、幾つかの海岸通りが目に浮かびます。お互い千葉の海岸沿いに住む身なので、新道の利便性に浸かってしまいましたが、それで何を失ったのか判ってくると、途方にくれてしまいます。
サーフに訪れる人が本当に求めているものが何なのか、色々な立場の方々が想像し続けてくれれば良いのですが。
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先生、ご無沙汰です。千葉の海岸線、旧道が先人達の知恵、海岸線にできた道路は人間の傲慢。ギリギリまでせりだしておいて、今度は「災害対策だ、なんだかんだ」と、浅知恵で海をいじりまわるあさはかさ。そこに公共事業にまつわる営利もからむから、どう考えても自然と共存する事とはほど遠いです。波の良い日もあれば悪い日もあり、魚が釣れる日もあればそうで無い日も・・・そういう繰り返しこそ、自然のサイクルというものだと思います。謙虚さこそ自然から教わる、もっとも大切なものですね!