好都合なデータに

 公共工事が盛んな頃、幹線道路脇でイスに座って、交通量を量るためにカウンターをカチカチさせているグループをよく見掛けました。
 頭の中が魚のことばかりが占めていたときは、そんなに正確に数えて何をする気なのだろうと無関心でした。
 しかしその後、東京湾横断道路や四国と本州間に多くの連絡橋が建設され、全容が明らかになると大規模な工事ほど計画当初の予想交通量が、例外なく多い方に外れていることを知りました。また、地方空港建設計画等にも同様に楽観的に過ぎる予想が見受けられます。
 相当な予算を使ったであろう事前調査とそれに費やした労力は、何処かに消し飛んでしまったようです。事業の完遂後、予想と現実との余りの差異に、民間ならば責任の在処を問われることになりますが、幾つかの言い訳で済んでしまいました。
 経緯から常識で考えると、建設が認可されるために必要且つ望まれた数値が予めあるので、調査は綿密にやったという事実さえあればよかったということになります。
 この手のデータを最終的に扱うのは、とても頭の良い人達ですから、改ざんなどしなくてもどうとでもなるのでしょう。
 
 と、ここまでは世の常として嘆きの種になるだけなのですが、私の関心はこの時、その事業を始動させる立場にある人、あるいは官僚といわれる人達に心の葛藤があったのか、どうなのかにあります。
 この場合、彼等の優秀な頭脳をもって調査データを客観的に分析し、将来の交通量を正確に恣意無く予想したものが提出されていたら、おそらくあの二つの橋は出来ていません。
 一方で、利権やその他諸々を配慮し、如何に目標に満たないデータが集まっても、何かしらの理由を付けて認可が下りるであろう数値を捻り出して提出すれば、橋は出来ます。始めに結果有りきです。
 私のような者がいたのなら、悩んだ末、前者を選ぶと思うので、早々と追い出されるでしょう。
 その後の人事で出世した人が何を担当していたのかを見れば、あの時本当は何があったのかが判るかもしれません。…
 都合の良いデータにするために使う何かしらの理由というのは、実に様々な方法があります。大抵、せっぱ詰まると平気で分母のほうに手を入れます。合わせて~率とかの都合がよい任意の年度データを援用することで如何ようにもなります。
 もっと身近な例では、魚体に有害物質が蓄積しているとして、キンメダイがやり玉に挙がったことがあり、一時売れなくなる騒ぎがありました。
 庶民に解りやすくということで、何グラムに対してではなく、何キレとかの曖昧な分母を使い、影響の大きそうなマグロよりキンメに意識が向かうようになっていました。
 似たようなことが、CO2削減目標やゴミのリサイクルについても伺えるので残念です。
 
 この先、釣りに関する事柄でも、海に何か建設する計画が持ち上がれば、必ず何処かに有利なデータが公開されるでしょう。精査することを怠れば、取り返しのつかないところまで行きそうです。
 毎日TVでは政治家が賑やかですが、どう見ても時折顔を出す官僚達のほうが頭が切れそうです。彼等が先のような選択の際、せめて心には葛藤が生じていて欲しいと願うものです。
 相手の心の葛藤なんて見えないし無意味では?そうゆう疑問が湧くのは当然ですが、けっして無駄な事とは思えません。少なくとも私の場合、お役所的な組織を相手にするときは些少な問題に対してでも、結果やその後の希望を伴う大事な要素でした。それは同じ言語が通ずるか否かの境にあるものだからです。
 
 
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明日はタックルハウスへ。第二リップに決着つけてきます。 

Posted by nino