海を覗いて(4題)…自選エッセイ集より【8】
長年釣りをやっていても飽きないのは、きっと、水の中の見えそうでいて、見えにくいものを相手にしているからだろう。 我々、陸上の者とは、水面という境界で分断された身近な異世界があり、その中に棲む相手は、見ようとする意志、つまり釣りをする心がないと、なかなかお目にかかれない。
そこで、無数に海を覗き込んできた経験から、幾つか印象に残ったことを記そうと思う。
◎初冬の松前にて
本マグロを狙いにいったのだが、本命は朝方、一瞬姿を見せただけで、陽が昇ってからは沈黙してしまった。
船頭の勧めで、根物に切り替えてジギングしていると、十キロ程のマダラがそこそこ釣れて楽しめた。
そのうち、友人が根がかりしたらしく、マグロ用のタックルが無機質に引き込まれていた。太いPEラインに、切れんばかりの力を加えると、何か揚がってくるという。さては、ゴミか岩を底から剥がしたのだろうと、他の者は自身の釣りに精を出していた。百メートル以上揚げるには相当時間がかかるはずだ。
しばらくして、海の中を覗き込むと、何か陽を受けて光っている。動いているが魚ではない、タコのようだ。その日は、異様に海水の透明度が高く、最初、遥か底の方でイイダコの子供のような大きさに見えたそれは、次第に限界が無いかのように大きくなっていった。
ようやく海面を割った怪物は、何十キロもあるミズダコだったのである。全員で、なんとか揚げると、船の幅いっぱいに横たわった。驚きという点では、充分マグロの代わりになった。
◎夜の平床にて
そこは平らな岩で構成された低い地磯で、静かな満潮時には、足首を小さな波が洗う。ここでは一度、平均の四、五倍のヨタ波を喰らって、数十メートルも後方へ流されたことがあったが、完全装備のおかげで無傷ですんだことがある。
かっては、マルスズキばかりだった場所だが、何故か数年間ヒラスズキが目立つようになった。
その日、静かすぎて、夕刻まで全く気配が無いので、久しぶりに夜釣りをすることにした。夕食後に戻ってくると、波が光っている。海一面が夜光虫だらけだったのだ。こんなときは、釣れた試しがなかったのだが、せっかくルアーも結んであるし、何投かして帰ろうと思った。 心配したとおり、ルアーの着水は青い花火のようになり、真っ暗な夜だというのに引いてくるルアーの航跡が丸見えだ。そこで、夜光虫を刺激しないように、ゆっくりと引いてみると、グッと押さえ込みがあり、同時に海面が炸裂した。
見慣れているはずのヒラスズキのエラ払いだが、これは、なんと幻想的なのだろう。闇の中で、魚体が爆発し、海も負けじとそれに呼応している。いつもなら、さっと取り込もうとするのだが、この時はもう一度飛べとばかりに、ロッドを高く掲げて、緩めたり、引いたりしている自分がいた。
そして、リクエストに応えて、確かに飛んだのだ。それも盛大に。
次ぎにロッドが軽くなったのは愛嬌である。いいものを見せてもらった。
◎式根島の旧港にて
数日前、バラした魚がまだ其処に居るような気がして、今はもう使われていない小さな港へ行くと、真白いクルーザーが岬の端から姿を現した。
それに、何気なく目をやりながら、先日の魚?のことを思い出していた。アメリカ製の大型ミノーを投げていたら、いきなりガクガクと、魚らしからぬアタリがあって、すぐにバレたのだが、驚いたのは、そのルアーの状態だ。軟らかめの本体とはいえ、フックと共にグシャッと潰れていたのだ。カミカミ、ペッと吐き出された感じである。
サメの歯形は無かったから、巨大なハタにでも食われたのかとも思ったが、相手を見ていない。何だったのだろう。
そんなときだ、港に近づきつつあるクルーザーの異変に気付いたのは。
徐々に沈んでいっているようなのだ。なんとか港まで辿り着こうとしているが、十メートル手前で、遂に乗員が海に飛び込んだ。白いクルーザーは、アッという間に、しかし、海面に没するとゆっくりと沈んでいった。目前で、乗員と見物人は、為す術もなく一部始終を見ていた。 話によると、船底を岩に当てて、穴が開いてしまったということだ。大騒ぎの傍らで私は、不謹慎にも、この沈みゆくクルーザーに魅入られていた。美しいとさえ感じた。
やがて、真白い船体が、澄んだ青い海の底に横たわると、それが船だと教えられなければ、大きな白い生き物が、ゆらゆらと動いて輝いているようにも見える。 フッと、先日バラした魚が、こんな生き物だったらいいな、と思った。
◎三宅島の磯辺にて
ルアーをそこらじゅうに投げていれば、何か釣れるのではないかと、たいした情報も得ずに釣行したときのことだ。
島の全周を投げまくって、一匹だけ扇子のような尾の魚に、ルアーを叩かれた以外は、小さな青物とさらに小さな底物が釣れたのみだった。
そのうち、予報どおりの大風になって、釣りにならず、車で風裏を探して何時間もうろついた。島の何処へ行っても、風が雄山の方へ向いている。巻き風による向かい風である。
やっと、ロッドが振れる場所を探すと、すぐに足下に三キロぐらいのボラのような魚体が目に入った。それはともかく、ここもツムブリ一匹の後が続かない。
そこで、ボラがいた足下にジグを垂らしてみたら、有り得ない所でジグが根がかった。というより岩のほうが動いたようなのだ。てっきりゴツゴツとした突起のある岩だと思っていたのに、これが、なんとタコに変身した。(またタコ!とか言わないで)そして、逃げる時の姿は、まるでボラのようなのだった。
タコの行き先を追うと、岩にへばりついた瞬間に、岩と色も形も同化する。完璧な擬態である。落ち着いて目を凝らして見ても、岩と見分けがつかない。
どうも怪しい岩が幾つもあり、次々とジグを垂らしてみると、岩が抱きついてくる。どうやら、タコの巣を発見したらしい。結局、二匹獲っただけで終わったのは、釣り上げたジグを付けたままのタコが、勝手に移動してロッドを折られてしまったからだ。
それにしても、想像以上の能力を持った生物である。
これは、三宅島の噴火前の話だ。タコの巣は、今は溶岩の下に埋もれてしまったと聞いた。
以上、四題、ここまで書いてきて気付いたのだが、思い出には、容易に釣れなかった時の事のほうが多い。ならば、これから先も増していく一方だろう。釣りをする心が、今日も海を覗き込ませる。
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2003年5月に岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。式根島は高校3年から毎年連続9回通った所です。干潮時にトンネル潜って行けた、誰もいない神引湾でよく泳いだもんです。
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