開かずの引き出しを開けたら…自選エッセイ集より【25】
必要あって、家具の配置換えをすることになった。タンスがヤケに重く、ひさしぶりに開けた引き出しの中から、なつかしい釣り雑誌が出てきた。
何でタンスの中に、と思われるかもしれないが、それは、頻繁に引越していた時期があり、面倒なので、家具のあらゆる余分な空間に、目の前の物を押し込んでいたのである。
引越も慣れすぎると、一々梱包して運ぶことなどしない。今の家に引越て来たときなど、机の上の物を片づけずに(飲み終えたコーヒーカップでさえ)ガムテープで止めて、大型トラックにそのまま積んだぐらいなのだ。
だから、引越した当日から馴染んだ空間になる。新鮮な気分は味わえないものの、すぐに日常生活を取り戻せる。
すっかり忘れていたおかげで、普通なら、とっくに処分していたはずの古い雑誌を見ることができた。60年代のものが何冊かあり、70年代、80年代と、今となっては手に入れようのないものばかりだ。紙質の悪い物は、開こうとすると、背表紙が壊れてバラバラになった。 考えてみれば、単行本や文庫本といったものは、それが時代を超えて読み継がれるものであるなら、いつでも新しい装丁のものが買える。シェイクスピアやウォルトンの本なら、200年後でも本屋にあるだろう。
そこへいくと、雑誌というものは、余程意志を持って保管しないと、いつしか失われてゆく。かえって貴重なのだ。さらに雑誌は、それぞれの時代の雰囲気を反映しているから、時々の影響力という点では、普遍的な本と同様の力がある。
古ぼけた釣り雑誌の記事に目をやると、中学生の自分が、何故、金華山まで釣りに行ったのか、今更ながら解った。今読めば、子供ゆえの信じ易さから、夢を膨らませ過ぎたようだ。
60年代の雑誌は、海関係だと、ほとんど餌釣りの記事だが、時折、ドジョウやバケの代わりにルアーを使った方法が紹介されている。今は無き竿メーカーの社主自らルアーでヒラメを釣る苦闘が綴ってある釣行記もある。ちなみに、この時のアブキラー(プラスチックミノー) は、750円であった。今の感覚だとハンドメイド並みの価格だったことになる。 それと、アブの5000Cが、一万六千円ぐらいの時に米国製の六万円のスピニングリールがあった。知人に買った人がいて、まずそんな値段で買えること自体、驚いたものだ。それは、なんと電動で巻けるのだが、パワーがすぐに無くなり、錘を引きずってくるのにも苦労して、もしも魚が掛かったらどうするんだと真剣に悩んだというから笑える。
71年の雑誌には、海でルアーを引こう、と題した一文があったので、よく見ると書いたのはあの西山徹氏。あらためて、氏から学んだことも大きかったのだと気付かされる。また、同じ号には、餌釣りだが、詩人の関沢氏の利根本流のスズキ釣りという記述がある。つい先日、釣友のIさんの呼びかけで、本流筋のシーバス調査というイベントを終えたばかりだが、これを読んでから参加すれば良かった。30年前に今の我々より、よく川スズキを理解していた人々が居たのである。
その他にも、電気ウキの夜釣りではあるが、房総のスズキポイントを網羅した記事がある。ほとんどの場所が、すでに明らかにされていたわけで、私のオリジナルポイントなんて、いかに少ないことか。
80年代に入ると定期のルアー専門誌が発刊されたり、海のルアーが急速に広がった。そう昔のことではないから、この頃の雑誌を持っている方も多いだろう。掲載されている写真には、今も活躍中の方々の若々しい顔が並ぶ。
自分の書いた記事を今読み返してみると、専門誌のほうは、そこそこルアーフィッシングが解ってから書いたもので、訂正したくなる箇所は少ない。しかし、その前に総合誌に書いたもののほうは、試行状態のせいか、今の自分だと批判したくなる部分がある。逆風有利説を確信する前だから、どんな自然条件下でもトライするとか、強気の言が目立つ。居着きの黒スズキが、まだ居たから、今ほど条件を選ばなかったからかもしれない。 それに、名作のレッドフィンやロングAをさらにリアルに加工しているとも言っている。私も、釣るためにリアル化に執着していた時期があったわけだ。また、リップレスを多用し、リングの代わりにケブラー線を使い、サイレントにしているとも書いてあった。全体に小技に走り過ぎていたように見える。
こうして、思わず目にした雑誌を、つい開いて、物思いに耽ってしまうから、肝心の家具の配置がいっこうに進まない。 釣り雑誌のほうは、何でその号だけ捨てなかったのか、中を開けば、その理由をすぐに思い出せる。しかし、ついでに他分野の雑誌もゴロゴロ出てきて、これらの捨てずにいた理由が解らず、気になって、すべて読み返すはめになった。
70年代の釣り雑誌に挟まって、日本版の月刊プレイボーイが一冊出てきた。さては気に入ったヌードでもあったのかいなと、探したがたいしたものはない。ようやく解ったときは、もう今日は家具の配置換えを諦める時刻になっていた。
そこには、先日、数十年ぶりに帰国してマスコミを賑わせた、赤軍派の女性リーダーS・Fの明大時代の詩が載っていたのだった。こんなに痛々しいほど優しい詩を書く人間が、後にあんなこともできるのかと、切なくなった記憶が蘇る。だから捨てなかったのだ。
そして今は、帰国の際、TVで見せた姿がそこに重なる。私は女性の笑顔は好きだが、この時のF・Sのパフォーマンスとしての笑顔だけは見たくなかった。
F・Sの話は、一見、釣りとは全く関係ない。しかし、それゆえに、あえて付け加えてみようと思った。
偶然、タンスの中に居合わせた、プレイボーイ誌と釣り雑誌のように、我々は全く異質な事が、当たり前のように共存する世界に住んでいる。
かの、ウォルトン卿が、三百五十年前、古典「釣魚大全」を執筆していたときは、まさに革命の最中と聞いた。戦時中に書かれたものとは、とても思えない。戦争行為そのものに対する、軽蔑と悲しみが、行間に滲んで見えるのは、後に時代背景を知ってからである。
そして、現在も世間のテロの心配をよそに、コンビナートのそばに行ってまで魚釣りをやろうとしている自分達がいる…。
今宵は、古い雑誌を肴にして、バーボンウイスキーをロックでやろうかと思う。
いや、もうやっているか。
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2002年1月の岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。写真はみな「つり人」のものです。ルアー黎明期には、他の雑誌より、その手の記事が多かったです。
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