ギャップ4…自選エッセイ集より【14】

SW,岳洋社

   ◇ギャップ一
大阪の夜、編集長との泥酔中の約束から始まった、このエッセイだが、本来の私は文章を他人に読まれることが、大の苦手なのだ。
高校の時、滅多に提出したことがない作文を、突然、ことわりもなくクラスメートの前で、先生に朗読された。いつも最後列に陣取って、授業非参加型のけっして優良とはいえない生徒に視線が集まった。私は、これ以上ないぐらい赤面し、全員が、その内容と私とのギャップに戸惑ったように見えた。
なにせ、チェーホフの愛について書いてあったのだから。さらに私にとっては、それは感想文の形を借りて、クラスの中のたった一人を相手に、うち明けられない想いを綴ったようなものだったのだ。
当日、その肝心な相手は、病気で欠席していたことだけが救いであった。
とにかく、それ以降、私は文章を書かなくなった。年賀状も、母親への返事さえも。もちろん、課題の作文も白紙で提出し続けたが、何故か叱責されることもなく、無事卒業できた。少しはデリカシーのわかる先生だったのだろう。
それから十年以上が過ぎ、たった一度だけ出席した同窓会での出来事が、その頑なな気持ちを融かしてくれた。
当時、秀才であまりつき合いもなかったクラスメートの一人が、歩み寄り、何と、あの時の事を覚えているばかりか、内容に感動した、と言ってくれたのだ。
確かに私にとっては重大な事だったが、他人にとっては単なる十分間である。本人でさえ忘れていた事なのに、あれが屈折したラブレターであることにも気付いていた。全力で描いた絵であっても、感動したなんて言葉は滅多に貰えなかったので、そんなにダイレクトに、しかも十年も経ってから言われて面食らってしまった。
他人と、私とのギャップは思ったほど広くはないことを、そのとき知ったのだ。こうして私は再び文章を書けるようになった。
◇ギャップ二
画商の世話になっていたことがあり、その間、色々な人間模様を見聞きした。
経済バブルが始まり、株の上昇と共に、絵画の流通も盛んになり、日本企業が海外の有名な古典絵画を、法外な値段で買いあさって、世界からついでにひんしゅくもかったりしていた。
懇意にしていた画商は、そこまでのスケールはないが、それでも目前で次々と高額の絵の取引を見ることができた。画廊には、絵を動く不動産としてしか認知していない海千山千の人物や、大中小の社長達が大きな外車で乗り付けていた。
私は初め理解出来なかったのだが、どうも絵というものは、冷蔵庫や家を所有し、高級車を乗り回し、生活が充実してくると、ハテ、他に何かあったっけと最後に買うものらしい。稀にそれがクルーザーだったりして順番が狂うのだが、洗濯機より先になることはないのだ。
さすがのお金持ち達も、車のセールスになら、声高に一番高い車を持ってこいなどといっても、せいぜい数千万単位だから強気だが、画商に一番高い絵を、なんていったら上限が無いから、どんな人でも商談に入るとビビルものなのだ。だから、この時の画商は税務署より客の資産について詳しかった。
やがてバブルが崩壊してくると、それこそ一斉に以前買った絵を、買い戻せとやって来る。今度は、家にある物の中で、一番先に処分するものになるのが絵だから、その急ぎ具合で状況が判る。画商が、あの会社は危ないというと、しばらくして本当に倒産するのだった。そんな、世間を知り抜いた画商も、買い戻しに耐えられず、潰れてしまった。
私はといえば、この時期は世の中の喧噪をよそに、有り余る静かな時間を、魚と糸電話で対話するような釣りに費やしていた。バブルはサラシのように頭上を通り抜けただけだった。
また、美術団体と縁のなかった私は、それまで有名画家との面識が無かったのだが、この間に本人と会えたのは貴重な経験だった。
ダイナミックで壮大な絵を描く人が、性格までそうであることは滅多になく、ほのぼのとした絵が多い画家が、実は厳格で野武士のような人物だったりする。そしてまた、金を預けるという概念すらなく、引き出しに束になった現金を無造作に入れている絵描きもいれば、金勘定の知識が銀行員並みの芸術家もいた。表現した物と一致する人物は、何人もいなかったのだ。
持っていないものを望む気持ちは判るし、どちらが本物かということにも無関係だが、彼らの表現したものとのギャップは、私にはあまりに広かった。
◇ギャップ三
前の方で、流れに任せて人物批評のようなことを書いてしまった。ならば等分に、自らのことも語らねばならない。
いまの私は、ルアー作りや釣りをもって、表現していることになる。絵を描く時と同じエネルギー源を用いているから、両方同時にはできない。少ないながら注文をいただいているが、しばらく応えていない。自ら、精神的なケアが必要な時描いているぐらいだ。
TKR130というルアーが出来て、友人に見せたら、Mシリーズと同じ人がデザインしたとは思えないと言われた。これも、Mも必然の形態と思っていたから、意外な意見であった。
デザインにあたって、魚や自然が教えてくれた、動きなどの機能的なイメージがあり、それにまっしぐらに近づこうとしているだけだ。まず外見から入って行くことはなく、(Mの細身だけは、ユーザーの意見を取り入れた。)中身と一緒に、四散している要素すべて同時に、頭の中の腕力で強引に固めていくような手法はどれも同じである。
そして、それ以外の形にはなり得ないというところまで、余計なものは徹底して削いできた。もっとデザインを遊べば、という意見もあるが、そうゆう物体は世の中にたくさんあるので、イヤだった。こうゆう方法で作るルアーがあったっていいのじゃないかと思ってきた。
さて、ここには本人とのギャップがあることは明らかだ。私は、時に理論的、理性的であるけれど、生活自体は整合性、合理性、効率性といったものとは無縁の生き方をしてきて、見回せば、身の回りは余計なものばかりだ。やはり、形になったのは、性格ではなく、その願いの方だったことになる。
◇ギャップ四
この頃、インターネット上で、ハンドル名しか知らなかった人達に会う機会が多くなった。物書きのプロは少ないから、文章そのままの人がほとんどだが、中には優しそうな文章を書く人が、ちょっと違っていたり、反対に攻撃的な印象を受ける文体の人が、実は穏やかな人だったりする。
以前の私なら、その文章的な外見と本人とのギャップに戸惑ったはずだが、今はそれをギャップとは感じていない。ルアーマンというだけで、他人とは思えなくなっているのだ。
他者とのギャップを覗くことは、苦しいときもあるが、自覚し、ありのままを認めることが出来れば、それは、たとえ深くても、風通しのよい裂け目にすぎなくなる。埋める必要も無くなるのである。
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2002年7月に岳洋社さんの「SW」に掲載されてものです。ギャップ一は載せるの迷いました。でも、今こうして文章を人様に読んでいただけるようになったのも、アノおかげなのも確かなこと…。

Posted by nino