映像で見えてくるもの、見えにくくなるもの

BKF175,TKLM140G

コロナ禍にて一都三県に緊急事態宣言が出されて、また引き籠りに突入しました。いい機会と解釈して落ち着いた時間ができると再び制作困難なルアーに着手しそうな自分がいます。

140Gの発売前はその大きさとヤヤコシサからTKLMの仲間として受け入れて貰えるだろうか心配していました。が、杞憂で済みました。

この数年のyoutube等でさらに大きなプラグで釣れる映像がたくさん流れたおかげなのか、140Gを含め全般に大き目なルアーの販売が好調でした。さらに魅力あるルアーを作ることでお礼としたいと思います。

振り返ると、3本フックのMKF170を発売した88年当時はコノシロパターンという用語も無く、秋からのビッグプラグによる釣りは限られたユーザーのものでした。98年に出したBKF175でさえ、これを投げられるロッドがまだ少ないのに行き過ぎではとの声があったぐらいです。雑誌等でビッグルアー特集があっても、シーバス専用としての盛り上がりはいまひとつでした。(写真は当時の雑誌広告)

まだまだ140mm以下が主力だったのです。BKF175はその後しばらく他の大型魚に助けられて生き延びることになりました。シーバスが巨大プラグに反応する様を実際に目撃しないと信じられなかったのでしょう。

参考記事:ルアーの太さについて

それが、高性能で安価な小型ムービーカメラができてからは実釣映像が溢れ様相が一変しました。今では多くのルアーマンが躊躇いもなく投げています。映像の説得力はスゴイなと改めて思います。

重いルアーが定着してくると自然にベイトリール使用が増えていくでしょう。スピニングだと指がヤバイとかの実用面もありますが、バス釣りと同じ理由でベイトを選択してみたくなるわけです。スピニング、ベイト双方に有利不利がありますから行ったり来たりするのも楽しいものです。

それらを後押しするコノシロの寄り(接岸)は、漁業資料によるとこの30年緩やかに減少傾向にありますが、実感としては当日の寄りの増減のほうが目立つせいか相変わらずのように見えます。ビッグプラグの威力を体験すると水中のコノシロの煌めきにトキメキを覚えて、それだけで興奮できるようになります。

しかし、この間に大切な釣り場そのものが半減しました。要因は様々でも立ち入り禁止場所は増えるばかりです。コロナでブームが来たとか、浮かれている場合ではないのです。

それに現場の人の密度と、釣りから得られる深い感動は反比例するところがあります。浮世からつかの間離れて、一対一で純な自然と遊ぶなんてことが難しくなってきました。

またネットでは、意図的な検索システムによって意見や居場所が片側に寄りやすくなるエコーチェンバー現象なる用語まで産まれています。思惑のある過剰な情報によって、集まりやすい場所や考え方ができるのは分かりますが、その中の表現に、こうすれば絶対云々とか必ず釣れるとかの言葉使いを大量に眼にします。受けもいいみたいで、私だと一生に数度しか使えそうにない言葉なのでビックリしています。

そしてネット映像やCMに押されている物売りシステムの先輩であるTVCMでは、何かと制約や放送倫理ができていて、苦し気な表現になっています。特にサプリメントや美容が分かりやすい。元々元気かキレイなタレントに大きな文字と声でその効能を謳わせていて、同時に画面の端の見えにくいところに小さく、これは個人の感想です。とか効能を保証するものではありません。とか一瞬映して責任を回避しています。まるで生命保険とかのミクロの文字で書いてある保証説明みたい。ネットでもメジャーなほうからこうした動きになってきました。

一番肝心なことは、小さく、静かで、見えにくいところにある。って変だと思う感覚は忘れたくないです。

さて、現在のルアーフィッシングで小さく静かで見えにくいところにあるものって何?

個人によって趣味嗜好は異なりますので、一概にどれとは言えませんが、あなたにとって大切なことはあると思います。すぐ思いつかなければ問いかけから始めてみてもいい、これが望んでいた釣りなのか?とか。どうか探してみてください。

私はといえば、いくつか見つけました。もしも映像内で声高に話せばとたんに言葉の意味と価値が彷徨うような事になります。それは静かに何かに寄り添うほうが似つかわしい。

例えば、その作ったルアーは終いには何処に行くの?・・・子供や孫に残したい写真やルアーって?・・・そんな素朴な問いから得た大切なものです。今もそれに沿って作り続けていることからも金銭より上位にあるものです。

Posted by nino