プチ歴史観から

何かしらひとつでも自分の得意分野を長きに渡って持ち続けることは、様々な恩恵をもたらしてくれます。
 それが仕事上のことであれば熟練と共に報酬も付いてきますし、また釣り等の遊びや趣味からでさえ、興味を保って長年継続していると、知識や経験ばかりでなく、いつの間にかテツガクめいたものまで身に付いてきます。
 ただ遊びのほうは精神薬としても作用してくれる反面、ときに伴侶から、それは単なる毒だと苦言されたりもします。何も持たない者より当然、波風が立ちます。

 ひとつのことに長く関わることは、大袈裟に言えば、その分野の生きた歴史の証人になることになり、其処で初めて見えてくる事があります。
 誰もが実際にその目で見ることの出来る歴史はほんの僅か。そのことに関心を持っている間だけです。それも期間には上限があり、長くても半世紀程度です。 だから通常、その分野の始めからの歴史を学ぶには、資料や伝聞に頼ることになります。教科書、専門書、WIKI、雑誌、TV、友人、ネット…。
 問題は、それらの記述や伝承が客観的に正確ならば良いのですが、しばしば勝ったほうから、力のあるほうから、より多数であったほうから、あるいは口数が多かったものからの影響が伺えることです。

私も子供の頃、教科書に書いてある歴史を鵜呑みにしていた時期がありました。しかし大人になるに従って、余りに一方的な記述には疑いを持つようになりました。
 それはたった数十年生きて見てきた小さな範囲の歴史の中にでさえも、そこかしこで都合良く書き換えられていることを目撃してきたからです。こうしたことは、ひとつの分野に精通する程リアルに見えて来るものです。そしてそこから類推することが出来ます。

 もしかしたら超長期に渡る大きな歴史の中にも、これに似た事情があったのではないかと。あるいは、大にあったことは小にも有り得るのではないかと…。

 身近な例えから言えば、ルアーの歴史、パクリパクラレの応酬。釣法の由来。刊行物の正誤…。それらから始まって、果ては孤島の領土問題、先の戦争の原因解釈まで。通説そのものが少々ねじ曲がっているかのように感じています。
 また現在、何処かの大国がやっていること、意図的に伏せられていること、それらが先々歴史にどう綴られるかを想像してみると、空を仰ぐばかりです。……
 では知っている者が正せ、ということになりますが、それは極めて難しい。相対する二者の背後には、それぞれに多数の人々を抱えているからです。加えて歴史は常に進行中ですから、関心が無ければ昔何があったのか忘れられてしまうのです。

 これも身近なところで言えば、歴史全体としては些少なルアーのパクリ問題ひとつ取ってみても、正統なオリジナルが常に勝つとは限らないわけです。それどころか、多くの事例で負けて消える場合があることを見ています。
 原因は幾つか考えられますが、一例をあげると、労力と資力を温存しやすいパクった側のほうが、相応のものを生産、宣伝し、勢いで一挙に多くの支持者を得た時点で、事は決定してしまうようです。 それをオリジナル側から批判などしようものなら、購買層として双方に被る支持者まで敵に回してしまうことがあります。正しい批判をしたつもりの側が大火傷する場合があるのです。
 特にルアーという製品は、パクリ品であっても使用者本人にとって手に入れやすく、しかも釣れたものは、例え偶然であっても釣れなかったオリジナルより本物になるわけです。誰だってその真実を貶されることは耐え難い。元々事情など知る必要のない支持者に責任はありません。
 また何気なく使用している家電なりでも、いきなり他人に偽物と言われては不愉快にもなるでしょう。

 かつて日本でも高度成長と呼ばれた時代にはけっこう現在の中国と似たようなことをやってきたわけです。そこに罪悪感は希薄だったように思います。その間は破竹の勢いでした。それは残念ながらスケールの大小はあっても諸般に通じているように思えます。それに対して文化的、倫理的な成熟は、縛られることが増え、一歩踏み誤れば経済的な衰退と紙一重だということかもしれません。

 これ、嘆きではないのです。若い時ならともかく、そういうものだ、と知った上で、なお選択の余地があるからです。
 巧妙なパクリは現在でも進化と言葉を換えれば許されているようなところがあり、それが各業界を活性化していることも事実です。それを否定するだけでは不毛というものでしょう。しかし私はその事を理解は出来ても納得してはいません。

 どうやらプチ歴史観からすると、まともにやりすぎても敗北する可能性が増えるということは判りました。しかし確定しているわけではなく、注意深く進めばまだド真ん中に小道が在りそうです。ならば、やっぱり今の自分から見てベストな方法を取ろうと…。必要なら意地でも、根性でも、ヤケクソでも、◇◇でも総動員して目指せば良いと思うのです。

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上写真は、中学三年のときに授業で作ったお皿。老人が、世界地図と十字架を模した窓から何かを見てるとこ。書いてある歴史に疑いを持ち始めた頃。

Posted by nino