募集…あなたの思い出の一匹‐4

 ハンドルネーム、サイさんからいただきました。
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 9月、橋げたの上流から立ち込み、まとまった雨の2日後の橋の影の境を、静まり始めた流れの中で釣っていました。
 長い間隔でぼちぼちと釣れていたけれど、使うミノーはだんだん細く小さくなり、それすらあたりが遠くなってきた頃に、ざわめくイナッコの波紋を見ながら気分を変える事にして、MのQUIETを使いました。 
 ちょろ、すー、と動かすルアーの軌跡が先頭で、それにイナッコの波紋が三角に寄り添うのに見とれていると、ルアー以外の全ての波紋がさっと消え、ちらりと、とても小さな水しぶきが起こって、釣れたのは91cmの鱸でした。
 今写真を見ると激しく喜んでいて、きっといろんな事がぎっしり詰まって起こっていたはずです。ところが、水温の高い初秋だから、まだ軽いとはいえとても力強かったはずのやり取りも今はあまり覚えていなくて、それよりも滑らかな暗い川面に起こった、あの不思議と小さな水しぶきの光景が焼きついています。
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 情景が、目に浮かびます。魚も大きいけど、それ以上の何かがあったみたいですね。周りの小魚を援軍として使うメソッドもユニーク。それにしても、ずいぶん使い込んだクワイエットだなぁー。ありがとうございました。

学校で教えない魚の運動能力…自選エッセイ集より【10】

   ◇空飛ぶマンボウ
この連載の4番目で、マンボウのことを書いたことがある。そこで、フックアップと同時に四百メートル急潜行されて、ラインが切れたと話した。後日、読者から、それ、水圧で死んだのでは、という意見があった。
実は、私も同じ理由で、少々不安だったのだ。水圧は、たった十メートルで、石油缶をペチャンコにした映像を見たことがあり、まして、深海魚を急に釣り上げると、ほぼ瀕死の状態である。
ラインから伝わってきた感触では、元気であったように思えるのだが、それを証明する術がなかった。
ところが、この数年、主に海外の研究者グループが、マンボウの生態を解明しつつあった。その一端を、NHKで見たのだが、水中撮影と発信器を付けての追跡調査という、かなり大がかりなものだった。
そこには、私の知る、あのマンボウがいた。ほとんど、イメージ通り、のんびり漂っているのだが、気が向くと素早いどころか、助走を付けて完全に海面上にジャンプまでしたのである。さらに、研究者を驚かせたのが、たまに、発信器が落ちてしまったかのように、深海に消えてゆくことだったのだ。クラゲだけではなく、オキアミも食っていることからも、マンボウにとって何百メートルもの深海にゆくことは、日常だったのである。
これを見て、私の不安はようやく払拭されたわけだ。
◇百二十キロで走る魚
マグロ類についても確認しておきたいことがある。学者や本によって諸説あるそうだが、クロマグロは、最高時速百六十キロに達するという。
これ、実際に計ったのだろうか。確かに、その運動能力や抵抗を減らすためにヒレを格納できる体表の機能は、驚異であるが、私はまだ、百六十キロで泳ぐ魚は見たことがないので、なかなか信じられないのだ。
カジキも七本の経験しかないが、リールから飛び出るラインを見ていても、百キロにも達していないように思えた。
百六十キロと言えば、空気中の高速道路でもバカな奴しか出さないスピードだ。この時、フロントガラスに昆虫のカナブンがぶつかると、ガラスに割れんばかりの衝撃を受ける。本当にマグロが百六十キロで泳いでいる場合、海中にはゴミひとつ無いことを祈るばかりだ。
また、前進を阻む海水中の抵抗は、凄まじいはずだ。遙かに密度の薄い空気中でさえ、計算上、抵抗は、百キロから百五十キロになったとき、ほぼ二倍になり、二百キロだと四倍になる。
六百馬力の市販型のレースカーが、何故三百キロ近辺しかスピードを出せないかというと、この時、空気抵抗の力は、三トンとかの力となって、推進力を上回り、小型トラックを押して走るようなものだからだ。
まして海水中である。その昔、水上スキーをやったとき、倒れて人間ポッパー化した後、海中に突っ込みかけたが、とてもじゃないがバーを持っていられなかった。また、自分の作ったルアーが、どれくらいの高速に耐えられるか、パワーボートでトローリングしたら、最高速に達する前に、抵抗でドラグが滑って、計測できなかった。
というわけで、私の限られた見識からすると、いくらマグロでも、最高速は百二十キロぐらいと思えてならないのだ。しかし、それでもスゴイスピードであることには変わりない。
そして、これらのことから、何百キロのマグロをライトなルアータックルで釣り上げる方法が見えてくる。
海水の抵抗をものともせずに、突進する彼らをドラグ十キロテンションとかで止めることは無理がある。自分で止めたと思っても、実は彼らが止まりたかったからにすぎない。止めるには、彼らの運動能力を支える要素そのものを潰した方が、遙かに効果があるだろう。
それは、車で言えば、空力性能を表すCD値や前面投影面積といったものだ。ヒレさえ畳むことを要求するパーフェクトな姿形であるだけに、これをちょっと破綻させただけで、彼らの推進力とスタミナに大ダメージを与えることができる。 簡単だ。できるだけ大型のプラグ、それもポッパーのようなルアーで釣ればよいのである。それが、ドンブリぐらいのカップを持つのなら、さらにいい。口にくわえたとき、全方向から抵抗を食らう幾つものカップや抵抗板が付いていてもよいだろう。
もしも私が一本釣り漁師で、どうしても歯が立たない四百キロのマグロを捕ろうと、作戦を練るとしたら、何かしらの形で、ヒットと同時に小型の水中パラシュートでも開くようにする。それは、直径三十センチもあれば充分かもしれない。百キロで海中を走ったとき、バケツ状のものが受ける抵抗は、ドラグとは桁の違う力となる。(これを見て、本当にパラシュートを使ったり、開く抵抗板など付けないで欲しい。せめて、ルアーデザインと大きさで工夫したい。釣れれば勝ちという裏技はイヤというほど見てきた。我々の釣りは、禁じ手があるからこそ楽しめる。)                                                ◇浅い磯場を駆ける魚
もうひとつ、讃えるべき魚の運動能力がある。あれは、インド洋のラクシャディープというところの、離れ小島でのことだ。それまで、ルアーなどが泳いだことのない、原始のままの荒々しいリーフがあった。
膝下ぐらいの水深だから、白波の合間には複雑な地形の底が露出する。なんと、その中で全身を蛍光コバルトブルーに輝かせて、五十センチ程のカスミアジが、縦横に走り回っていた。そして、白波に乗って、紫色の大エイが二匹、こちらに向かってサーフィンしてくるではないか。私はそれから逃げるとき、ケブラーのウェーディングシューズがリーフに触れて裂けてしまった。それぐらいトゲトゲしい場所なのだ。
魚の視力とか、聴覚を本で調べると、近視であるとか、可聴領域は狭いとか、意外に個別の能力は低いようである。ただ、それだと魚全般の能力の説明がつきずらいから、側線の働きが、それらを相当補っているとされている。詳しくはその筋の本を読んで貰うとしても、いったい、あの複雑な地形を縫って超高速で駆け抜ける能力は、どんな運動神経を備えていたら可能なのだろう。
考えてみると、(学術的には根拠がないが)本来、上下ですら見失いかねない世界の中で、定位するだけでもたいしたものだ。それは、脊椎の中の耳石が、体液に浮いた状態であることと無関係ではあるまい。そして、彼らの能力は、体全体が全て濡れているという根本にささえられているのではないか。
人間でも、感覚器官の目や鼻や口などは、鋭敏であるために濡れていないとならない。魚は、元々、生物の体液に近い海水という外界と、ダイレクトに繋がって一体なのだ。だから異物である岩と激突することがないし、群れは練習も無しで、同時に方向を変えることができる。
そういえば、一匹のヒラスズキのことを思い出した。彼らも浅い磯では、なかなかのパフォーマンスを見せてくれる。 かつて、波と共に岩棚を越えようとしたのだが、波が思いのほか早く引いて、岩上に取り残されてしまった奴がいた。数秒ジタバタしていたが、痛いせいか、すぐに静かに横たわり、次の波で帰っていった。ちょっと間抜けに見えた。
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2002年9月に岳洋社さんの「SW」に掲載されました。付けた写真はもちろん合成ですが、見たとおり私はカジキを一匹コロシています。その後はすべてリリースできました。下の写真は合成ではありません(^o^)。

風の思い出…自選エッセイ集より【9】

    ◇決まり文句
まだ、海のルアーマンが一般に認知されていないとき、つまり、イシダイ師やメジナ師から怪訝な目で見られながら、ルアーを投げていた頃だ。
知り合いの漁師と、魚を捕るには、どんな日がいいのか話し合ったことがある。 季節や時合いについては、おおむね意見が一致するのだが、潮や風のこととなると、ときどき正反対の考えを述べるのだった。もちろん、漁師は私の意見など、笑って聞いていたものだ。俺達は毎日海に出ているんだから、というのが決まり文句だった。
それから、しばらく私は月に二十四日ペースで釣行を続けることになった。その漁師が先月は二十三日、海に出たと言っていたからだ。かなり無理をしたので、車が潮で融けて、窓すら開閉できなくなった。
始めは漁師に一点に限り反論するつもりでいたが、そのうちどうでもよくなった。どちらも間違っていなかったのだ。漁師は魚がまとまって動き、網に入りやすい日を正直に答えていたし、主に岸釣りの私は、魚が接岸し易い日のことを言っていたわけだ。目前に外洋が広がる磯場では、ルアーの射程に魚が入ることは、そうそう多くはない。
潮の流れや方向も、風の強さや向きも、それぞれ大切な要素であることには変わりなかった。ただ、俺達は毎日海に出ているんだから、という言葉は、以前のように、ただの決まり文句には聞こえなくなっていた。

日を選ばず、とにかく毎日海にいるということは、毎日、異なる風の流れの中で、確信と諦めと、期待と失望とによって、頑なな思い込みを溶かしていってくれるものなのだ。
それまで、平砂浦というサーフでは、シーズンを通すと、スズキとマゴチとヒラメが等分に同数釣れるとは思わなかった。また、とある磯場では、ヒラスズキの移動経路が必要以上に解ってしまい、恐ろしくなって釣りを封印し、後輩に託して自らは立ち入らないようにもなった。漁師は、本気か冗談か、その場所を教えろ、網入れようという。笑って誤魔化すしかなかった。

◇旅人
商売が当たって、一時的にリッチマンになった釣り好きな友人がいた。それまで多忙で、旅行など興味もないふうであったが、ある日、突然、奥さんと共に世界一周旅行へ出かけたと聞き、驚いた。 二人が旅先から帰って来てから、二月ぐらいして会った時に、何百枚もの写真を見せてくれた。よくぞ短期間に、これだけ回ることができたものだと感心しながら、そのうちの見知らぬ何枚かの説明を求めたら、なんと、本人はそれが何処だったのか判らないのだ。イギリスかフランスかさえ覚えていないところが彼らしい。
一方で、新潟の巻機山というところに、季節を変えて何十年も登り続けていた友人もいる。山の踏破記録などとは無縁のところに興味があるらしく、行動圏は広くても偏っている。
この二人、一見、相容れない趣味を持つようでもあるが、長年の友人の私から言わせると、旅行に求めているものが案外共通しているのだ。旅人の志向を大別すると、旧所名跡、神社仏閣とか歴史的なものに興味の大半があるものと、旅先の風の匂いとか、陽の光の柔らかさ、厳しさとかの自然の営みのほうに惹かれるものとがいる。
この二人は後者のほうである。言葉少なく、地中海は気持ち良かった、という彼と、言葉巧みに、高原の風は目に見えるから飽きないという彼は、旅の志向が似ている。そして、たぶん私も、だ。

◇オートバイ
…夜明け前までは、街路樹が微かに揺れる程度の風だった。それが、海から輪郭の鮮やかな太陽が上がってくると、にわかに強い南風が吹き始めた。車のドアを押す手に力が入る。
ウェーデングして、岸から百メートル先にある小さな沖根に渡る頃には、時折風速二十メートル近い逆風となった。
波飛沫は派手に浴びるが、風波がウネリへと変化する三十分ぐらいの間は波のパワーが弱いので安全だ。構える間にも、いいサイズのスズキの反転が見えた。二匹釣ったら、潔く帰るのだと自分に言い聞かせる。
さすがに、いくら重心移動システム入りの試作ルアーとはいえ、この状態では風の息を狙って投げても飛ぶはずがないが、今は魚が近いので充分だ。十三フィートのロッドは、横に構えてリトリーブすると、まずバットが風に負けて後方に曲がり、ティップはルアーの抵抗で、とりあえず風上に向くものだから、S字状になっている。スズキがヒットすると、ようやくロッドがいつもの弧を描くが、風の助けが余計で、すぐ足下まで寄ってきてしまう。が、これはバレた。次から次ぎにヒットして、そしてバレる。こうゆうときは、そうゆうものなのだ……。

理由あって、オートバイを降りてから、その昂揚感に匹敵するものを探していた。それを見つけたような気がした。この感覚は、あの三月、雪解けを待って敢行した、十和田湖の奥入瀬渓谷道を突っ走ったときと同じようだ。
寒い季節の中で久しぶりの暖かい日に、両側から雪の迫る狭い道を走った。ヘルメットのヒビわれたシールドが曇ってしまい、前が見えるのは、わずかにヒビを繋いだ透明テープの部分からだけだ。不思議とそこだけ曇らない。緊張はしても何の不安も無かった。  
厳冬の北海道を三ヶ月で回って、青森に渡り、やっと辿り着いたクライマックス。シリンダー回りの冷却フィンに、詰まったドロが陶器のように硬化して、叩いても取れない。新車で買ったオートバイもたった四千キロで廃車になった。度重なる転倒で、穴の開いていない服は無くなった……。
風を切り、風に身体を預けるといったようなことから得られるオートバイの昂揚感は貴重だが、それはある種の釣りの中にもある。海と風と魚達の演出が、もっと完璧なら、自然との一体感という点では勝るかもしれない。 そんなときは現場に向かう車の中で確信することができるのだ。スズキはすでに釣れている、と。

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2002年11月に岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。あの廃車にしたオートバイは鉄屑として売る気になれなくて、自分で解体しシリンダーは今もペン立てとして使っています。十和田で偶然出会った、某バイクメーカーのデザイナーの方、私のこと憶えているかな…。

リップルポッパー初の小型〔TKRP90〕

tkrp ルアーマンなら誰でも、トップで釣ってみたい。
でも、初めの一匹が釣れるまでは、ハードルが高いジャンルのルアーでもあります。実際は、トップにしか反応しないときが、内湾でも外洋のサラシでもあるのですが、ニガテとする方が多いようです。

常に切り札になるとは言えないまでも、持ち札としてあったほうが楽しみが増えます。思い浮かぶ負の要素としては、フッキングミス、荒れたりすると使いづらい、アッピールし過ぎてスレる、等ですが、そこは、幾多のランカーをヒットさせた先輩リップルのノウハウから、どうすれば良いのか解明済みです。
そこで、十数年間ずっと見合わせてきた小型化ですが、シビアな最近の状況を考え、初めて90ミリサイズを導入しました。(売れ筋を考えないで、デカイほうから展開するのが、K-TEN系の伝統。ワガママごめんなさい。)
浮力を、このサイズの理想値まで落とし、フッキングミスに対処。例えば、冬、このルアーと一緒に風呂に入ると、始めは沈みます。しばらくして暖まると浮いてきます。(塗装オプションによっては誤差があるかもしれません。)しかも、後で余分なオモリで調整といった半端なことはせずに、始めから重量を集中させた完璧な設計で仕上げました。淡水から、汽水、純海水へ移行しても、水面との絡み方を特定する必要があったからです。そして、海面の荒れ具合で、ほぼ自動的にアッピールの調整をします。(カタログ参照)

使い方は、あまり規定したくないのですが、注意点はあります。バスのトップルアーに慣れている方だと、ロッドを煽りすぎて、フックとリーダーが絡むことがあるようです。純ポッパーと異なり、止めた後も若干、進むからです。アクションをつける場合は軽く、普通にリールでストップアンドゴーで充分です。もちろん引き波巻き、デッドスローも有効です。その際、ロッドティップの高さを意識すると、このルアーの繊細さと、持ち味を生かせます。
TKRPにはワークスからシンキングモデルを追加しました。こちらは遠くのルアーの挙動をイメージ出来る方には切り札にもなり得ます。単純なシンキングペンシルには出来ない、上昇を取り入れたアクションを演出できるからです。
たまに、ミノー系でフッコが入れ食いのときがありますが、そんなとき自分の心の声が、「またか、小さい」なんて聞こえたら、釣果は落ちても別のジャンルのルアーに換えるべきだと思います。より、釣れなくなるが、面白いほうへシフトする。それこそが餌釣りに無いルアーフィッシングの醍醐味なのですから。TKRPはそんな時にも活躍してくれるはずです。

逸話として、このルアーの最終プロト(絶対無くせない奴)を静かな外洋で、フルスイングしたらラインが切れて飛んで行ってしまいました。三人がかりで海岸をウロウロすること一時間。見つけてくれたのは、偶然学校をサボって来たらしい高校生のカップルでした。オジサンは感謝してます。
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隠れテスターM氏、会心の日。この日、磯マル5キロアップ8本。内TKRP-90で3本、最大7,3キロ。一本はMサウンド。オールリリース。お見事なり。

海を覗いて(4題)…自選エッセイ集より【8】

 長年釣りをやっていても飽きないのは、きっと、水の中の見えそうでいて、見えにくいものを相手にしているからだろう。 我々、陸上の者とは、水面という境界で分断された身近な異世界があり、その中に棲む相手は、見ようとする意志、つまり釣りをする心がないと、なかなかお目にかかれない。
 そこで、無数に海を覗き込んできた経験から、幾つか印象に残ったことを記そうと思う。 
   ◎初冬の松前にて
 本マグロを狙いにいったのだが、本命は朝方、一瞬姿を見せただけで、陽が昇ってからは沈黙してしまった。
 船頭の勧めで、根物に切り替えてジギングしていると、十キロ程のマダラがそこそこ釣れて楽しめた。
 そのうち、友人が根がかりしたらしく、マグロ用のタックルが無機質に引き込まれていた。太いPEラインに、切れんばかりの力を加えると、何か揚がってくるという。さては、ゴミか岩を底から剥がしたのだろうと、他の者は自身の釣りに精を出していた。百メートル以上揚げるには相当時間がかかるはずだ。
 しばらくして、海の中を覗き込むと、何か陽を受けて光っている。動いているが魚ではない、タコのようだ。その日は、異様に海水の透明度が高く、最初、遥か底の方でイイダコの子供のような大きさに見えたそれは、次第に限界が無いかのように大きくなっていった。
 ようやく海面を割った怪物は、何十キロもあるミズダコだったのである。全員で、なんとか揚げると、船の幅いっぱいに横たわった。驚きという点では、充分マグロの代わりになった。
   ◎夜の平床にて
 そこは平らな岩で構成された低い地磯で、静かな満潮時には、足首を小さな波が洗う。ここでは一度、平均の四、五倍のヨタ波を喰らって、数十メートルも後方へ流されたことがあったが、完全装備のおかげで無傷ですんだことがある。
 かっては、マルスズキばかりだった場所だが、何故か数年間ヒラスズキが目立つようになった。
 その日、静かすぎて、夕刻まで全く気配が無いので、久しぶりに夜釣りをすることにした。夕食後に戻ってくると、波が光っている。海一面が夜光虫だらけだったのだ。こんなときは、釣れた試しがなかったのだが、せっかくルアーも結んであるし、何投かして帰ろうと思った。 心配したとおり、ルアーの着水は青い花火のようになり、真っ暗な夜だというのに引いてくるルアーの航跡が丸見えだ。そこで、夜光虫を刺激しないように、ゆっくりと引いてみると、グッと押さえ込みがあり、同時に海面が炸裂した。
 見慣れているはずのヒラスズキのエラ払いだが、これは、なんと幻想的なのだろう。闇の中で、魚体が爆発し、海も負けじとそれに呼応している。いつもなら、さっと取り込もうとするのだが、この時はもう一度飛べとばかりに、ロッドを高く掲げて、緩めたり、引いたりしている自分がいた。
 そして、リクエストに応えて、確かに飛んだのだ。それも盛大に。
 次ぎにロッドが軽くなったのは愛嬌である。いいものを見せてもらった。
   ◎式根島の旧港にて
 数日前、バラした魚がまだ其処に居るような気がして、今はもう使われていない小さな港へ行くと、真白いクルーザーが岬の端から姿を現した。
 それに、何気なく目をやりながら、先日の魚?のことを思い出していた。アメリカ製の大型ミノーを投げていたら、いきなりガクガクと、魚らしからぬアタリがあって、すぐにバレたのだが、驚いたのは、そのルアーの状態だ。軟らかめの本体とはいえ、フックと共にグシャッと潰れていたのだ。カミカミ、ペッと吐き出された感じである。
 サメの歯形は無かったから、巨大なハタにでも食われたのかとも思ったが、相手を見ていない。何だったのだろう。
 そんなときだ、港に近づきつつあるクルーザーの異変に気付いたのは。  
 徐々に沈んでいっているようなのだ。なんとか港まで辿り着こうとしているが、十メートル手前で、遂に乗員が海に飛び込んだ。白いクルーザーは、アッという間に、しかし、海面に没するとゆっくりと沈んでいった。目前で、乗員と見物人は、為す術もなく一部始終を見ていた。 話によると、船底を岩に当てて、穴が開いてしまったということだ。大騒ぎの傍らで私は、不謹慎にも、この沈みゆくクルーザーに魅入られていた。美しいとさえ感じた。
 やがて、真白い船体が、澄んだ青い海の底に横たわると、それが船だと教えられなければ、大きな白い生き物が、ゆらゆらと動いて輝いているようにも見える。 フッと、先日バラした魚が、こんな生き物だったらいいな、と思った。
   ◎三宅島の磯辺にて
 ルアーをそこらじゅうに投げていれば、何か釣れるのではないかと、たいした情報も得ずに釣行したときのことだ。
 島の全周を投げまくって、一匹だけ扇子のような尾の魚に、ルアーを叩かれた以外は、小さな青物とさらに小さな底物が釣れたのみだった。
 そのうち、予報どおりの大風になって、釣りにならず、車で風裏を探して何時間もうろついた。島の何処へ行っても、風が雄山の方へ向いている。巻き風による向かい風である。
 やっと、ロッドが振れる場所を探すと、すぐに足下に三キロぐらいのボラのような魚体が目に入った。それはともかく、ここもツムブリ一匹の後が続かない。
 そこで、ボラがいた足下にジグを垂らしてみたら、有り得ない所でジグが根がかった。というより岩のほうが動いたようなのだ。てっきりゴツゴツとした突起のある岩だと思っていたのに、これが、なんとタコに変身した。(またタコ!とか言わないで)そして、逃げる時の姿は、まるでボラのようなのだった。
 タコの行き先を追うと、岩にへばりついた瞬間に、岩と色も形も同化する。完璧な擬態である。落ち着いて目を凝らして見ても、岩と見分けがつかない。
 どうも怪しい岩が幾つもあり、次々とジグを垂らしてみると、岩が抱きついてくる。どうやら、タコの巣を発見したらしい。結局、二匹獲っただけで終わったのは、釣り上げたジグを付けたままのタコが、勝手に移動してロッドを折られてしまったからだ。
 それにしても、想像以上の能力を持った生物である。
 これは、三宅島の噴火前の話だ。タコの巣は、今は溶岩の下に埋もれてしまったと聞いた。
 
 以上、四題、ここまで書いてきて気付いたのだが、思い出には、容易に釣れなかった時の事のほうが多い。ならば、これから先も増していく一方だろう。釣りをする心が、今日も海を覗き込ませる。
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2003年5月に岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。式根島は高校3年から毎年連続9回通った所です。干潮時にトンネル潜って行けた、誰もいない神引湾でよく泳いだもんです。

Fテスト…いい一日でした

 房総一周行300キロから今、帰宅しました。
今日は予報が良いので(ヒラ)、Mさん達、たぶん釣れているだろう、と様子を見に車を飛ばしました。ついでにリップをイジッタK2F142を試すため、ヒラ道具一式持っていきました。
 海は良さそう。ありゃ、二人がいない。風が強すぎて移動?携帯もつながらない。とりあえず、ウエットを着て……ナイ、磯タビがナイ!磯ブーツしかナイ。
 しかたない、ウエットに磯ブーツ?カッコワルイし危ない、本当はやっちゃダメです。案の定、水が入って足が動かない。やめときゃいいのに、目の前にヒラが居るとなると、つい無理をしてしまいました。 
そしたら、今度は数年ぶりのギックリ腰。それでも何とか泳いだりしてポイントまで5メートルまで近づきました。で……諦めました(T_T)。以前クリスマスイブに磯で転けて、動けず、星を見上げながら一夜を明かしたことを思い出したのです。でも、半月前、急病で入院一歩手前まで行った事を思えば上出来。身体が回復傾向にあることを感じます。陽の光がとても心地良かった。
 ここからだと、ヒラの居るところに投げられないので、ルアーのアクションテストと写真だけ撮って引き返すことにしました。(30メートルを一時間かけて、カメラは水没、データは無事)ギックリ腰でブーツを履いてはオヨゲナイ…教訓にしてください。
 でも何故か、いい日だったんです。忘れられない一日になりそうです。長い釣り人生で、ヒラが居るのに投げられなかったなんて、初めてでした。帰りに、記念に和田のサーフショップJ・s(ジェイズ)さんで、評判の良いヒラ用ウエットを注文しました。(私のスリーサイズ知ってるのはOさんだけ。いい話、聞けました。)
 そして、後で、ここに報告が入ると思いますが、今日あの周辺にいた4人にとっても、生涯忘れ得ぬ日になったことを、つい先程知りました。予感的中。やっぱり、特別な日だったのです。
                 〔Mさんから今日のヒラスズキ画像送られてきました。〕
                    

三つの虹…自選エッセイ集より【6】

    ◇レインボウドラグ
 リールの回りに七色の虹が架かった。初めて、それを見たとき、リールから延びるラインの先には、全力疾走中のシイラがいた。ラインが勢いよく放出されて、細かい水しぶきが上がり、そこに虹が架かったのだ。
 思わず見とれてしまい、ドラグがロックしかかっていることに気付かず、ラインが切れた。まだ、市販前の大切なオリジナルルアー、つまり後のK―TENがメーターオーバーのシイラと共に消えてしまった。そこで小さな虹も消えた。
 あのルアーが、もしもそこで無くならなかったら、その後、発売されるものの形も微妙に違っていたかもしれない。
 最近はリールに架かる虹を見なくなった。どうも、虹を形成する条件が満たされていないようだ。
 当時は、リーダーシステムも知らず、4号程度のライン直結であったため、精度の甘いドラグを初期ロックが無いように相当緩めにセットしてあった。だから飛沫も盛大に上がったのだ。
 ヒットさせるのは、今よりはるかに簡単なシイラであったが、掛けてからは現在の道具による二十キロのヒラマサよりも手強かった。最新のリールの精巧なドラグは、シイラぐらいの魚を一方的に何十メートルも走らすことはない。ラインローラーも大径になりラインに無理がかからず、逆転による飛沫も少な目だ。
 道具の進歩は、歓迎すべきことだが、それによって、幾つかの釣りのメモリアルが失われてゆく。あの虹もそのひとつであった。
 
    ◇レインボウレシピ
 料理は色に例えられることもある。とは言っても、七色ぐらいでは本職のコックから、そんなに浅いものではないと怒られそうだ。
 虹にも外側と内側に不可視領域があるから、料理にとっては、さしずめ隠し味といったところか。しかし、それを書くには、私は味覚上の経験不足を自覚しているので相応しくない。料理用のハーブについてさえ、先日UM嬢に教えられて、初めて目覚めたところだ。それまで、自宅のすぐ近くにハーブ園があることさえ気付かなかった。
 だから、私に語れることがあるとしたら、刺身についてぐらいだろう。
 旨い刺身には、目に見える虹がある。先日も、友人の釣った二十キロの夏が旬のキハダマグロをさばいて、メンバー数人と分け合った。各人がそれぞれ自宅で刺身にして食べたようだが、私のさばいたものが一番旨いといってくれた。別物のようだとの感想もあった。
 それだけ気を使っているのだ。最後に切るマナ板は、あらゆる匂いが移らないように熱湯消毒して乾燥したものしか使わないし、包丁も同様だ。
 そして、とんでもなく切れる専用の包丁を使う。砥石で研いだものを、さらに製図用のオイルストーンで、ルーペを見ながら仕上げている。
 細胞の壊れた冷凍物ではなく、生魚やヅケにしたものを、その包丁で切ると、赤身でも白身でも、切り口には光を反射して、虹が現れるのだ。
 本来、味は変わらないはずの同じ身が、質を変え、口触りが格段に良くなる。これだけは、一流料亭と同じか、少し上をいっていると思う。私は、これを“コスナーカット”と名付けた。映画のボディガードを見た人なら、そのイメージがわかるだろう。(ケビンコスナーの持つ日本刀に、ホイットニーのスカーフが被さり、ハラリと音もなく切れた)
 
    ◇リアルレインボウ
 三つ目は本物の虹である。海の上にいると、雨が遙か彼方からやって来たり、通り過ぎるところを見ることができる。当然、虹を見る機会も多くなる。
 海外となると、日程に余裕がなく少々の悪天でも船を出すから、益々、多くの虹を目前にする。思えば、どこの国でも虹と出会った。
 ところが、日本にいて、あまり船に乗らなければ、虹なんて滅多に拝めないと友人に言われた。虹を見られない理由は船のせいだけではないと思う。何よりも、普段の生活で雨後の空を一々見上げる習慣がないからだ。
 私には、子供の頃から大好きな風景がある。それは雨後の夕刻の晴れ間である。 雨が、空気中のチリを落として、澄みきった大気に、柔らかな太陽光線が横から射す。すべての影は長く、夜は間近い。一瞬の晴朗。何処か高山の森林限界付近に似た雰囲気がある。
 その中に日常で我が身を置くために、少々無理をしてオープンカーにしているのだ。よほど差し迫った用事がない限り、この十年、その一瞬を逃さず僅かな時間でも九十九里浜の波乗り道路をドライブしてきた。この条件下では、他の車はほとんど走っていないから、飛ばそうが、止まろうが自由だ。もっとも、路面がまだ濡れているから、前に車がいると飛沫を跳ね上げられるので、オープンにできない。だから、ひたすら追い抜くか、止まってやり過ごすしかないわけだ。
 本当は、それだけでも気分は良いのだが、度々、東の空に虹がある。大粒のどしゃぶりの雨が去った後、現れる物が、もっとも美しい。
 虹は見ようとすれば、見ることのできるものなのだ。
 
    ◇レインボウウォッチャー
 虹を詳しく調べてゆくと、太陽の高度角に対して約四十二度とか、雨粒からの反射屈折した光が四十二度とか、何やら、ルアーのリップ角度に近い数字が、ポンポン出てくる。どうやら、その角度のリップを持ったルアーの尻尾を太陽に向けると、リップの延長上に虹が見えることになる。虹の探索計として使えるではないか。あのルアーにレインボーカラーがあるのは、偶然とはいえ楽しくなる。
 とにかく、虹を見るなら、自分を中心として、太陽と反対側の空に、雨粒のカーテンがあればいいわけだ。だから、雨があがったら、陽の射しているのを確認して、朝方なら西の空を、夕方なら東の空を見上げればよい。
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2001年9月に岳洋社さんの「SW」に掲載されました。現在も、相変わらず不便なオープンカーに乗っています。もう小型の船みたいなもんです。ルアーの空力テストにも欠かせないので、必要なのです。

記録と記憶…自選エッセイ集より【5】

 釣りの記録方法として仲間の例を挙げると、魚拓や剥製。文章に残す人。JGFAへの申請。耳石や鱗を取る人。歯形の付いたプラグを集める人。それぞれだが、圧倒的に写真派が多い。
 私はと言えば、先日、一本のフィルムを現像してみて驚いた。 
 そこに、自宅の小さな庭には不似合いに育ってしまった満開の桜が写っていたからだ。しかも2枚。番号でひとつ前に、カナダでフッと休んだ駐車場でのスナップがある。釣りに行ったのだし、そのあとスキーもやったのに、その一枚だけ。
 番号でひとつ後は、いきなり夏になって、シイラだ。それも、海の中の綺麗なシイラが一匹写ってるだけ。そしてまた桜が咲いている!次にどこかのホテルの部屋。ヒラマサを釣っているのは、ニュージーランドだ。ラストが英語の看板。
 うーむ。ということは、2枚の桜は撮った年が違うことになる。この頃写真を撮らなくなったとはいえ、まさかこれほどとは思わなかった。あの目眩く一年の記録がフィルム一本に収まってしまっている。
 そういえば、数日前の青森行きでも、カメラを持参しているのに一枚も撮ってこなかった。本当は漁師のブリ定置網漁に見学同船したときに、撮りたいシーンがあったのに、カメラを車に置き忘れてしまった。ベテランのK氏が網上げで甲板にこぼれた、たくさんの石鯛の稚魚を、漁師が忙しく働く中を邪魔しないよう気を使いながら、拾って海に帰している姿を撮っておきたかった。
 今となっては、どうしようもないが、あの情景はたぶん、この先忘れることはないだろうから、ヨシとするか。
   立ちつくして
 いつ頃から写真の枚数が減っていったのだろう。たしか、山登りに明け暮れた時代は膨大な数のスライドがあった。後年、それをほとんどすべて、欲しがった後輩に預けた。それは、後で思い出に浸ろうと見返した写真が、どれも自らの記憶の中にあるものを越えることはなく、むしろ、小さく修正してしまうことに気付いたからだった。たまたま撮った写真の周りや時間的前後だけが誇張されてゆく。
 違う!この朝焼けはもっとキレイなはずだったし、あの全山燃える紅葉はキレイなばかりではなかったはずだ。そう思いたかった。冷たい岩肌の感触まで記録し再現する事の難しさは承知しつつも、その方法を探してあがいた。
 しばらくは、せめて、目そのものに焼き付けようと、幾つものシーンの前で、立ちつくしていたのである。
 再び頻繁に写真を撮り始めたのは、やはりルアーフィッシングで釣る度に魚拓をとるのは面倒になったときと、リリースするようになってからだ。ただ、これは別の意味で少なくなってゆく。後で見返すと、サービス判の中のスズキ達は悲しいほど同じに見えてしまう。実際は貴重な一日にそれぞれが異なる感動を与えてくれたのに。
 結局、私は進歩なしで、今日も海の前で立ちつくす。
 ただ、そんな日々を送っていると、アブレた日でさえ何かいとおしくなってくる。今日はアブレましたという写真は情けないので、記念に貝を一個拾ってくることが何年か続いたことがある。これは、すぐに何百個になってしまい、公共物の私物化になりかねないので止めた。今だ家中に貝が散らばっているのはそのためで、いずれ返しにいこうと思う。
   ヒラリー
 ずっと昔、エベレストに初登頂したエドモンド・ヒラリーは、下山後、本当に頂上に達したのか疑いを持たれたそうだ。彼が証拠を持っていなかったからだ。
 当時としては無理もなく、スズキの十五キロを釣り上げたことを写真も無しに信じろというような、孤高の記録であった。後になって、2番目に登った人が、彼の残した物を頂上で確認するまで、疑心暗鬼の目に晒されていたと聞く。
 それでも、仮に証拠がなくても、彼のことを信じた人は大勢いた。彼の人となりがそうさせたのだろう。それに、日本の未踏岸壁の初登記録の中にも厳密には証拠の無いものがあった。人を信じることにウブな時代だったのだ。
 現代では、GPSもあるし、マイナス30度でも作動するカメラもあり、ヒラリーのような問題はない。記録は悪意が働かない限り正確だ。
 しかし、ヒラリーには記録はともかく、黙って確実に持ち帰ったものがあった。それは、サーの称号がありながら、老年期になって再び彼をチベットに向かわせた、強烈な記憶だ。歴代の登山家を見ていると、そのようなものが、記録方法の充実と共に稀薄になっていくような気がする。
 魚なら、リリースするつもりで釣行して、たまたま記録魚が釣れても、そこにカメラがなかったら持ち帰れるが、景観とかはそういかない。その時、人はどうするか?たいてい、目の奥に焼き付けようと集中して、記憶に留めようと必死になるだろう。これが、後々、最良の一日として、蘇る時がくる。
   シヤワセの分量
 我々は、計らずも、一生を通じて記憶に残る一日が、共通してある。例えば好きな人と初めて〇〇した日。あるいは失恋した日。結婚した日。その反対の日など。
 次にこれはかなり積極的に行動しないと得られない、ルアーマン特有の事がある。それは貴重な一匹をあげた日。もしくはバラシた日。友人との印象的な釣行など。
 もしも、人間が、平等であるなら、シヤワセの分量は一生を通じて、どれだけ記憶に残る日々があるかということなのかもしれない。漫然と過ごせば、その数は限られる。
 過ぎたばかりのこの夏は、たぶん、八十回しかない夏のうちのひとつだった。残念なことに、ひとりひとりに無限の季節が巡ってくるわけではない。私にとっては、おそらく後四十回はないが、今年の夏は、けっして忘れないだろう。
 このままいけば、私のシヤワセの分量はたいしたものになりそうだ。おめでたい奴かもしれないが、心の内にあるカメラを信じて良かったのだと思う。
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1999年11月に岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。これもリクエストです。ありがたいことです。訂正箇所があるとすれば、最後のほうの、‥後四十回‥というのを‥後三十回にしたほうが正確です。(^o^)山の絵は、若かりし頃の点描画、「前穂高4峰正面壁」。奥又白の池から登攀ルート確認のため、何日か眺めていました。

ふたつのシーバシング…自選エッセイ集より【4】

 今日、生まれて初めてメガネを買いに行った。ラインも漁師結びなら見えなくてもできるが、ビミニツイストとなると、もういけない。遠くの鳥ヤマを探しすぎたとウソブクのはもう終わりだ。レンズの先にあるラインはどこまでもクリアーになった。
 思えば、長い間シーバシングをやってきた。釣り関係の知人の多くが活動の中心を遠征や巨大魚へ移していくのに、私は相変わらずスズキが好きで身近な海をうろついている。
 いっこうに飽きないのは、たぶん、大きくはふたつのシーバシングの振幅の中で、自由にやってこれたせいだ。一方は独りで自然と対峙する釣り。もう一方は仲間と楽しむことが第一義の釣り。どちらが欠けても、ここまで続かなかったと思う。
  ◇多様なシーバシング
 そのふたつの釣りの話をする前に多様なシーバシングがあることを確認しておくことにしよう。
 まず、釣りに付き物の、釣果優先数釣り志向がある。誰だって沢山釣りたい。私も過去やってきたことだが、いずれ卒業して欲しいという願いはある。
 つぎにあくまで大物志向という人もいる。たとえ年一匹でもデカイのを狙ってという釣り。
 また、ポイント研究に興味が集中して、釣れないのを承知で通う釣りもある。私も、一場所スリーシーズンをめどに次々と移動していた時期があった。ポイントを熟知して釣果が安定すると、興味が失せ、ほとんど行かなくなる。
 まだまだ色々あるだろうが、シーバシングのよいところは、たとえば、仕事が忙しい人には夜、短時間とかそれなりの楽しみ方ができることだ。
 失業中の人には、そういうときしかできない釣りがある。
 全般的には、ベテランになり知識も豊富になった頃から、社会的義務も増して、釣行時間がとれなくなっていく。それを嘆くことはない。各人のおかれた状況でシーバシングのスタイルを変えていけばよいのだ。
 それには、自分が何を求めて釣りをしているのか、再考してみるのはよいことだろう。
  ◇仲間と楽しむ釣り
 ルアーを始めた初期の頃は、ほとんど独学で試行錯誤を繰り返していた。今となっては、笑える話も沢山ある。たとえば、自分の釣ったことのある魚が正式にはヒラスズキというのを知ったのは、かなり後になってからだった。
 当時、ルアーに詳しい仲間さえいれば、そんなことを知るのに何年もかかることはなかった。
 今は、共にルアーを投げる友人達がいる。教え、教えられ、かっての苦労がウソのようだ。今なら、スズキが全員に一匹ずつ釣れれば、それで満足できる。俺のほうが、ちょっと大きいななどと言いながら、笑いあえる。
 また、お祭りのように、たまには適度な競争や大会も楽しいが、いつもは、まだ釣れていない人がポイントから投げる順まで、自然に優先される。それぞれが、かって、数釣りを経験し、いいサイズの魚を釣っているので、余裕がある。せっかく友人ときているのだから、全員のヒットを願う、そうゆう釣りだ。
 ボートでの内湾巡り。広いサーフでのキャスティング。静かな月夜のウェーディングなど。それらは仲間と共にあれば、なお楽しい。
  ◇自然と対峙する釣り
 もう一方のシーバシングは危険を伴うから、万全の準備と経験と運がいる。ひたすら、昂揚感とか、自然との一体感を追求したものだ。
 これによって、友人が亡くなったりしているので、くれぐれも、一例として理解してもらいたい。
 それは、昔、某誌の小エッセイに書いたとおりの「外洋、荒天下、朝時、美背景、低磯上、逆風、波被り、単独、スズキ、ルアー雄叫び釣り」というものだ。
 説明すると長くなるので、文字上から、雰囲気を読みとって欲しい。今も変わらず、わたしの最も好きな釣りである。
 スズキ好みの日並みは突然やって来る。前夜の予報から、全知識と勘を頼りにポイントを割り出す。そして未明のあうとばーんを少々反社会的速度で走り、魚に近づいてゆく。
 釣りは大概において、行ってみなければ判らないものだが、まれに、前日から確信できるときがある。なにしろ、車に乗る前から、すでに釣れているのだ。知識と経験は、深まれば、快感と直結できるのである。
 いつもは、魚を釣った瞬間に興奮のピークがあるが、その時ばかりは魚との間合いを詰めていく全時間がピークとなりえる。
 そして、期待どうりの結果を海に返して、さっと帰るのだ。あとは夜も明けきり、通勤で混み始めた道を余韻に浸りながら、法定速度で仕事へ向かう。眠い目を擦れば、先ほどの濃密な数時間が夢の中の出来事のようである。
  ◇振幅の中で
 参考として、私の釣りの極端な2例を書いた。本人は、この間をバリエーションを加えて、行ったり来たりして遊んでいる。
 仲間と共にあるのも楽しいが、独りで思い切りわがままにというのもたまにはいい。経験を積んで、独りで釣ることができる仲間同志が集うことはさらにいい。
 こうしたシーバシングをしていると、飽きないし、年を重ねるごとに悦ばしき知識は増してゆく。本当の収穫の時は、まだ先にありそうな予感がする。
 最後に、特に独りの釣りはリスクをともなう。くれぐれも安全にはぬかりのないように、頼みます。
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1999年11月にエイムックさんの「実践シーバス攻略テクニック」に掲載されたものです。自分の釣りについて書いてありますが、今も全く、変わっていません。(^_^)40歳前後の当時は、迷ってばかりと本人は自覚していたはずですが、こうゆうことはブレていないようです。

ジュゴンさんからの質問

 スズキ釣り歴は13年程の若輩者ですが質問させてください。
磯で傷つくルアーがもったいなくて、デッピングをブルーオーシャンにしていますが、115Fと140Fは元の泳ぎよりもローリングが強くなると感じています。(勘違いかも知れませんが)
単純にウェイトが大きくなるとふり幅が抑えられるのかなと思っていましたが、140Sではデッピングしなくても強いウォブリングで泳ぎます。
 ミノーのシンキングは泳ぎのふり幅が大きくなるものなのでしょうか。シンキングミノーでローリングが強く泳ぎ出しを早くする事は可能なのでしょうか、教えてください。
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 ジュゴンさん、歴13年で若輩とは、謙遜しすぎです。(^_^)ルアーを大切に使ってくれている、お気持ち、ありがとうございます。
 では、早速。例えば、もしも小さなルアーに1ミリ厚の追加ドブ付けをすると、確実に別物になります。それに対してBKF140、115はルアーのボリュームからして、少々のデッピングでは性質を変えないでしょう。しかし、厚さにもよりますが、影響はあります。簡単に言うと、段々ニブクなっていくのです。距離あたりの振動数が少なくなっていくということです。(以前、EXというアルミの上にコーティングを重ねたBKFがありましたが、あの厚みが極端に性質を変えないギリギリでした。)
 ローリングが強くなると感じられるのも、あながち錯覚ではありません。外皮の質量が上がると、ルアー全体としては鉄球ウエイトの持つ働きの割合が、低くなっていき、ローリング要素の慣性を抑えきれなくなります。例えば、重いバットを振ったら、簡単には振り戻せないけれど、オモチャのバットなら軽く振り戻せます。それと同じです。
 それと、BKSシンキングは、特殊な位置に追加のオモリが前後に入っていて、ご説明した慣性力によって、(行ったら、行き過ぎて戻れない)重量級ながら、振り幅を保っているのです。このため振動数は落ちています。強引に動かしているため強い動きではあります。
 ミノーのシンキングの(フローティングも)振り幅や、泳ぎだしを変えることは、もちろんできますが改造が必要です。入力する力を大きくするためにリップを大きく(既存のリップの前に貼る)したり、リップの角度を変える事です。望む度合いによっては、位置の移動や薄くすることもしなくてはならない。結果、飛びや強度に悪影響が出るかも知れません。ここまでくると、別のルアーを買ったほうが早いという方もいるでしょうが、ルアーを改造するのも、楽しみや知識のうち、と思われる方もいるでしょう。試すと、色々な事が解ります。
 これから後に書くことは、ルアーを傷つけたくないジュゴンさんに合うのか心配ですが、マニア達のやっていた裏技も紹介しておきます。任意の泳層にするためのリップ削りはポピュラーですが、現場でリップ角度を変えることもできます。リップの付け根を軽くライターで炙って、静かに手早く曲げ、すぐ海水に浸けます。試行回数は1回が限度。(ボロボロのK-TENで試してネ)
 もう一つ、かなり本格的なチューンですが、外皮が厚いことがニブクなる要因ですから、塗装どころか、プラ全体を0,3ミリ程度削って、薄くしてしまう。140は耐久性のために厚い外皮(1,5)なので(175は最薄部1ミリ)、1ミリ確実に残っていれば、いけます。敏感になります。(失う物も当然あります、自己責任でお願いします。)その際、鉄球が当たる後部部分と接着部位は絶対に薄くしないでください。危ないです。私は、これを警鐘の意味も込めて、書いています。
 間違って、リップが折れても、BKFは泳ぐリップレスとして生き返ります。私としては、リップ改造ぐらいに留めていたほうが無難だと思います。参考までに。
 説明に不足がありましたら、遠慮無く知らせてください。これからも、よろしくお願いします。