OTHER…造語、ウォブンロール

ほうっておけば、いずれ忘れ去られる話なので、ここに記しておきます。
今は、ルアーの動きを現す言葉として定着した、ウォブンロールについてです。これ、初めて命名したのは、旧アングリング誌(昔は最先端を標榜する専門誌だった)の当時の記者、M・S氏でした。
ウッド製K-TEN、MKF135の初取材でのことです。城ヶ島の磯(ここは私にとって思い出の場所、磯は年月を経ても変わらない)から、近くのホテル(後、閉館)に戻り、私が広い湯船にひとり浸かっていると、
M氏が、5個ほどルアーを持って、入ってきました。
しばらく湯船の中で、これからのソルトルアーは、どうなってゆくのかなど、MKFを浮かべながら、とりとめのない話をしていました。その中で、ルアーの泳ぎについて聞かれたので、目指すところをラパラやレッドフィン等先輩ルアー達の例をあげて答えました。ウォブリングにもローリングにも良いところがあるから、良いと思う比率で融合した、と。
そうしたら、湯煙の中で、M氏がボソッと、ウォッブリングロール…ウォブリンロール……ウォブンロール、これでいきましょう、と言いました。私も語呂が良いので賛成したのです。(いつから使われたかは記憶が曖昧)
その後、彼は、5個のK-TENを繋いで遊んでいました。MKFは連結しても、泳ぐんです。(^-^)

足跡のない砂浜で…自選エッセイ集より【13】‐S

 砂浜のルアーフィッシングでは、ポイントが絞れないとき、しばしば浜の続く限り歩いてしまう。
 ウエイダー姿で何キロも歩いていると、先行者の真新しい足跡を幾すじか見つけた。目で辿ると霞むような遠くに人影があった。
 この足を引きずって、右へ左へフラフラと、立ち止まっては溜息をして、流木があれば腰掛けているのは、たぶんKさんだろう。そのうち、歩幅が乱れて、波打ち際のエグレの前で、後退りしてヒラメか何かをズリ上げた痕跡がある。
 久々の大物かもしれない。足跡を辿って数キロ行くと、やはり、Kさんだった。大きなヒラメを掲げて笑っている。
 月に二十日も通い込んでいると、その足跡さえ見れば誰が居るのか、そして釣れ具合まで一目瞭然だ。私のはと言えば、やたらと一服が多いのが特徴だろう。 
 ところで、砂浜に足跡は付きものだが、房総には足跡のない浜がある。
 一キロしかないその浜を、最初に見たのは、見学のためヒラメ漁の船に乗っていたときのことだ。
 三方を三十メートルの崖に囲まれて、何処からも入れそうにない。沖から見ると、辺りの浜は賑やかなのに、この浜は人っ子一人居ない。
 今時、珍しいところもあったものだ。こんなにヒラメの漁場のそばなら、もしかしたら座布団大のヒラメが重なって居るかもしれない。
 行くしかない。
 地図を頼りに捜すと、なるほど、国道から離れていて標識もない。踏跡程度だが崖直下ルートと、山道のルートがあり、名もある浜だが、危険であるため名は伏せておこう。
 山道から入ったとき、三十分かけて高台に出たら、なんと眼下に大きな鯨が一頭居て、たまげた。鯨ぐらい、沖ではけっこう見かけるが、これほど岸近くで見たことはない。鯨は確かに私に気付き、静かに沖へ遠ざかって行った。
 これは、ルアーマンどころか餌釣り師も入っていないぞとばかり、一気に期待が高まって先を急いだものだ。
 ここは、房総には少ないドン深の浜で、波が足元で急に立ち上がる。その力で、たまに大きな石が空中に飛び、私はこれで怪我をした。
 背後は崖なので、幅はたったの十メートルしかない。満潮時に荒れていると、浜全体を波が被い足跡が消えて、浜の美しさが際立つ。砂質は、よく見ると七色の貝殻であり、サラサラと歩きづらい。 この砂質のせいか、崖から落ちてきた車ぐらいの岩が三日で砂に飲み込まれてしまった。この浜は何処か寂しく、怖い。 
 肝心の釣果のほうは、期待に反して、たいしたことはなかった。スズキの回遊はあるが、ヒラメは重なっておらず、釣れたものは小さかった。
 あまり釣れないが、それでも私はこの浜が好きだ。何処を見ても人工物は一つとして無く、異国風の景観に情緒がある。 浜は千変万化で、そのルアー釣りにも、磯とは別の奥深さがある。ただ、それに気付かないと飽きやすい釣りでもある。その助けになるのが、このフィールドの魅力だ。
 いつか、再び日本各地を巡り、地元でも知られていないような浜を探して、ルアーを一投してみたいと思う。
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1995年11月に(株)週間釣りニュースさんの発行する媒体に掲載されたものです。ここに書いた浜の砂が綺麗なので、ひとつまみ瓶に入れて部屋に飾ってあります。鯨のシーンは、今も忘れられないです。何であそこにいたんだろう? 

反マニュアル…自選エッセイ集より【12】

 先月のNZ遠征では、船に十日も乗りっぱなしであったが、荒天に阻まれて三日しか満足な釣りができなかった。
 本命ポイントは外したものの、そこはさすがにNZ、初めて行ったミドルセックスバンク(スリーキングスの先)というところでは、二十キロを超えるヒラマサのスクールに会うことが出来た。
 この遠征は調査目的のため、スタッフは多いものの、メインの釣師は私だけだ。
恵まれているようだが、代わりがいないため、少々のアクシデントは無視して続行する覚悟がいる。今年は、移動中、小さな町で奥歯を一本抜いた。
 そのかわり、有り余る時間と豊かな海のおかげで、釣技や道具を色々と試すことができる。リーダーの太さ長さ、ドラグのこと、フックのこと、ルアーのことなど、より知りたいことは幾つもある。
   ◇マニュアル
 最近、海のルアー関係のマニュアル本や記事が多数出回ってきた。この釣りも成熟期に入ったことを伺わせる現象である。しかし成熟期と聞くと、同時にその先の衰退期を連想してしまう。
 マニュアルを構築した諸先輩は、試行錯誤して、この魚にはこの釣り方、このタックルと結論してきた。その過程には本来の楽しさがあったはずだ。一方その結論だけ見せられた人は、ウマクなるのも目的を達成することも早くてすむが、気をつけないと良いことばかりではない。マニュアルとして簡単に得られるものは、また簡単に失うこともできるということだ。
   ◇反マニュアル
 そこで、大切なものを失わないために、参考になるか判らないが、私の釣りの一例を道具選びを含めてあげてみる。
 先のNZでは、良い機会なので、同サイズの魚に日頃確信の持てない幾つかの疑問をぶつけてみた。
 まず、もっと双方に無理なくランディングできないものかと試してみた。青物も大きくなると少々ドラグを締めたぐらいでは、走りが止められない。根の心配があれば、フルロックに近いドラグ設定をしなければならず、百ポンドリーダーすら切れてしまう。 
 そこで、根の薄い所で、止まったときにリフティングできる程度の弱めにしてみた。すると、走る距離は、それほど変わりがなく身体の負担も少なく、快適なやり取りができた。
 やはり、この日、この場所で、二十キロ台のヒラマサにはベストのドラグ設定というものはあった。強引に早く取り込み過ぎると血を吹いてしまうし、こちらも体が保たない。また、遅すぎる取り込みも弱ってしまい、リリースが難しかった。
 次に、取り込む方法として、シンプルに竿尻を下腹に当ててやり取りすることと、単純なギンバルベルトを付けた場合と、太股上にギンバルが位置するスタイルの三方法を試みた。
 これだけでも、同じ魚が二倍も強くなったり、弱くなったりする。私だと、一匹ならシンプルな方法を好むが、二匹目はベルトが欲しくなる。
 さらに、通常フックのみと、アシストフックのみと、両方と三種を交互にして釣ってみたり、リーダーを変えたりと、ここぞとばかりに試してみた。
 そのうち、バランスの良い道具立てと、釣技が解りかけてくる。しかし、これとて時間が経つにつれて、潮流が早くなり、抵抗となる太いリーダーを、細く短くしないと、ジグの着底すらままならなくなった。また、鮫がくれば、すべてを優先させて早い取り込みのできるタックルを選ぶことになる。
 スズキ釣りも同様だ。
 サーフのスズキなら、ロッドが9~11フィート。使いたいルアーの重量でも、風向や荒れ具合でも変化する。それに、普段ヘビーな釣りが多いせいか、短いロッドだと、楊枝を振り回すようで、どうもしっくりこないという理由だけで、ロングロッドに持ち替えるときもある。
 ラインはコチ混じりの日なら、あえて直結の細目の10~12ポンド。リーダーを付けるなら、メインラインが 8~16ポンドとして、その倍ぐらいのものを、エラ切れ防止の30㎝の短いリーダーから、魚の体長分の120 ㎝まで。
 投入回数が多いときは、トラブル回避のため、ラインシステムをガイドに入れないように、タラシを長くして投げている。
 これらも、ライン負荷に応じて、あるいは頻繁にラインを巻き変えているときと、何日も続けて使うときでは異なってくる。
 磯のスズキなら、場所と状況に応じて、もっと様々だ。リーダーは取り込み場所や根や風の状態、波の具合で、1M~4Mと定まっていない。何度も痛い目に遭い、幸運も味わっているので、一様ではすまなくなったのだ。
 
 私でも、マニュアルを書けと言われれば(出来るだけ避けてきたが)、オススメの釣り方からタックルまで示すことはできる。ただし、それは平均した一式を書くにすぎないのだ。実際は見てのとおり臨機応変といえば聞こえがいいが、アレヤコレヤといまだに試しているばかり。これが絶対だなどといえるようなものは、ほとんどない。
 相対的な事柄の多い世界では、いちいち自ら考え、工夫しなければならず、メンドウだとは思う。しかし、それは自由ということの本質でもあるから、居心地は悪くない。
 さて、明日はどんなルアーを投げようか…。
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2000年9月に岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。ニュージーランド北島のほうは何回かに分けて、ほぼ全域回ってみました。魚の多さには感心したものの、魚種は少ないようでした。日本の魚の魚種の多様さといったら、世界でも珍しいのでは。 

衛星から…自選エッセイ集より【11】

 我が愛車が、また海に落ちている。と言ってもナビゲーション画面の中でのことだ。個人向け市販第何号とかの、古い機種なので今のナビにあるような補正機能が無く、百メートルぐらいは走行中の道からズレてしまう。
 東京湾横断道を走ると、当時は無かった道のせいか、自車位置がアタフタと機械らしからぬ動きを見せて愉快だ。都会ではビル群に衛星電波が遮られて用をなさない。
 何故、まだこんなナビを使っているかというと、完璧な盗難防止機能を備えているからだ。ある駐車場でナビなどの盗難事件があったときも、私のオープンカーだけは無事だった。流石に手慣れた泥棒の目は確かだ。
 また、こんなナビでもビル群の無い、見知らぬ土地であれば迷うことはない。その代わり、ナビの無い時代にはあった、旅中の思わぬめぐり逢いや、ハプニングも無くなった。たいてい、目的地に最短で着く。 
    ◇遭難
 衛星といえば、船舶用のGPSはかなり以前から普及していた。漁船、遊漁船とも外洋をテリトリーとすれば、欠かせない装備である。
 港から漁場への往復。仕掛けた網の回収など。大昔なら方位磁石と太陽や星や風、遠くに見える陸地からの山立てに頼らなければならず、相当の経験を必要としただろう。今はGPSの扱いさえ知っていれば、年若い船長にも不安はない。 自船の位置を正確に知るという当然のことが、いかに重要かはGPSが壊れてみると良く解る。
 ある真夏の曇り日、私たちはクルーザーに乗って、シイラの群れを探して沖をさまよっていた。三十六マイル沖あたりでGPSの故障に気付いた。陸地は見えず、四方の水平線の色に違いが見えない。 念のため、陸地寄りに進路を定めて、帰りながらシイラ釣りを続行したのだが、これがいけなかった。このような時に限って、海からシイラが湧いてくる。
 いつものように、港への最短距離で帰れば余裕のあった燃料が底を尽きかけてきた。潮の動きや風の影響、それとシイラに誘われての非効率的な移動が災いしたこともあるが、なにより楽しいシイラ釣りの最中の時間が、実際の経過時間より短く感じられていたことに気付かなかったせいだ。
 元々、電気系のトラブルで無線も使えない。一時は、たとえ漂流しようとルアーさえあれば、いずれボートに付くシイラでも釣って、飢えることはないだろうとか、うそぶいて焦りを隠していた。
 その後、エンジンストールが起きかけた頃、なんとか港に辿り着けたのは、運良く陸向きに風が変わって、足りない燃料分を補ってくれたからだ。危うく、慢心による遭難として、世間を騒がせるところだった。
    ◇遭難2
 ついでに、私は山でも二度ほど、自分のいる位置を把握出来なくなったことがある。一度は、上越の奥深い山々の中で、後七時間程歩けば麓に着くと承知していながら、何か物足りなくて、最短ルートを探してみようということになった。
 鉈を片手に道無き道を進み、何度も獣道に騙されて、二日間彷徨った。方位磁石と地図さえあれば、何とかなると思ったのだが、山では標高が低くなるほど木々に邪魔される。自分の現在位置を知るためには、度々四方を見渡せる尾根まで登り直さねばならない。尾根の分岐や地形次第では、行きたい方向にすら行けぬ。最後には、危険な沢登りならぬ沢下りを強いられて、滝壺にも墜ちた。     
 全身ボロボロの風体でバス停のある小さな集落に辿り着いたとき、ここは何処なのか、聞いて驚いた。予定していた下山場所とは、なんと県の名前が違っていた。現在の携帯用のGPSを持っていれば、あり得ないような失敗だが、引き替えに得たものの大きさを、あの時、同行した仲間の誰もが忘れないだろう。 
    ◇グーグルアース
 インターネットの環境があれば、衛星写真を繋いだ電脳地球儀、グーグルアースを制限版ながら無料でダウンロードできる。検索サイトのグーグルから辿っていけば在る。
 起動すると、まず宇宙にポッカリと浮かぶ地球が現れる。そこから、ほとんどマウスの操作だけで、地球上の何処の場所でもスーパーマンのごとく飛んでゆける。宇宙から見下ろすことも、上空数百メートルからの視点で斜めから俯瞰することも出来る。拡大、縮小、自由自在だ。
 まだ地域によって、解像度にバラツキがあるものの、詳しいところでは車とトラックの区別はつく。スパイ映画で見たことのある映像だ。グランドキャニオンなど立体化されているところもある。そこでは任意の高度を飛ぶ、鳥になれるのだ。
 自宅を探すと、数年前二メートル四方を白く塗った屋根が確認できた。そこから、かつて釣行したカボサンルーカスの座標を指定すると、始め、ゆっくり上空へ視点が遠ざかり、加速して、太平洋を一気に渡り、ハワイを越え、またゆっくりピンク色の砂浜に着陸するように視点が移る。目の前に当時泊まったホテルがある。この間、数秒。
 このようなソフトが無料で公開される時代になったのだ。おそらく、衛星を持つ国の軍事筋には、これより遥に精度の高いシステムを既に構築してあることだろう。プライバシーがどうのという段階ではない。制限のある無料ソフトでも、こんなところまで見せていいの?という場所が幾つもある。          
 世界を隈無く見ようとすると、アメリカの政府や軍関係の施設にはモザイクが掛かっている。東京や、皇居は丸見えなのに、横須賀基地にはやはりモザイク。このソフトが内包する問題を、作り手も認めているということになる。今後モザイクは増え続けるはずだ。
 グーグルアースを初めて見たときに、人それぞれの感想があるだろう。今は、それらを列挙する気にはなれないが、代わりに、これを使って、最近スズキが釣れた場所を正確に示してみよう。
 北緯三十五度三十一、二十六、九。  西経百四十度二十七、六、十一。   私はここに、ルアーを打ち込んだところ、一匹のスズキに命中した。
 正確な座標を指定出来るということは、ルアー以外の多くのものにも応用が利く。これの発展型のプログラムを行使できる立場の人間に、強い自制心があることを祈るばかりだ。 
    ◇イメージ
 釣り人がヒットポイントを知りたがるのは正直な欲求だと思う。それを多く持つ者に結果が現れてきた。情報や道具を駆使すれば、手っ取り早い方法は幾らでもある時代だ。それらの恩恵の享受をわざわざ避けるつもりはない。釣りにも色々ある。
 ただ、スズキの陸からのルアー釣りというものは、他の漁獲方法に比べて、元々ストイックな部分がある。ボートも無く、魚探も無く、コマセを打たないから、魚から近づいて来るわけでもない。
 一本のラインの先に、シンプルに一本のルアーを結んで、自然条件下で向こうから我々に近づいて来る時を待つ。足下には常に海岸線という、人ではなく、自然が決めた不可侵のボーダーがある。待ち合わせに失敗すれば、潔く帰らなければならない。最も制限のある釣りのひとつかもしれないが、自ら選んだ方法である。故に楽しい。
 魚にとっては、凶器に違いないルアーだが、せめてイメージとしては、誘導ミサイルではなく、自らも痛みを伴う、剣であって欲しい。いつの時代も、便利、簡単というのは、人同士の結びつきや、思い出作りにおいては、敵である。
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2006年1月に岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。写真はカボサンルーカス。ピンクの砂が綺麗。魚もたくさん釣れてホテルも立派。でも私にはリゾートは似合わないです。 

お知らせ…予定

 ご来室、ありがとうございます。
この部屋は、タックルハウスHPとメルマガ以外にはリンクしていないので、今のところ地下室といった、おもむきになっています。
 開室してから二週間。まだまだ構築中のため、長い目で見てやって下さい。
 
 今月後半から、遠征等の釣行計画が立て込んでいます。留守が多くなりそうなので、その前に過去のエッセイを連日、アップしているところです。できれば留守中にでも、一日一編、読んでやって下さい。友人曰く、次から次へと読むとツカレマス(^^;)。(ワタシも手書きのテキスト化が…)
 今後は、エッセイ二十編をもって、一区切りとして、その後は折々のルアーテスト風景や、製作に関わる事を中心にお見せしていきたいと思います。
 では、また、、 良い釣りを…。

ルアーとギャング…自選エッセイ集より【13】

 今年で十四回目のシーバスパーティを終えて帰って来たところだ。前夜は相変わらず、ほとんど寝ずに酒を飲んでいた。帰宅途中、睡魔に襲われ、堪らず車中で休んだら、顔にハンドルの跡が付いて困った。私の車はリクライニング出来ないのだ。
それにしてもプレ大会を入れると十五年目になり、当然、初期からの参加者も歳を取った。三十代の私は、まだ毛髪も健在だったし、徹夜が続いてもハンドルの上で寝るようなことは無かった。
◇誰もが通る道
新たに出会う人は、大抵若いルアーマンとなった。彼らとは、世間一般の事についてはズレを感じるが、昨今のルアー事情について忌憚無く話し合うと、共感できるところも多い。共通の相手であるスズキが、そう易々変わることはないからだろう。
それに同一人物を、一年おきに十五年以上見続けていると感じるのだが、ルアーに関しては、誰もが通る道というのがあるのかもしれない。けっして一本道ではなく、枝分かれもするが、進む方角は同じという道だ。
何かしらのチャンスにルアーに興味を持ち、漸く、あるいは呆気なく、釣れた一匹が始まりとなる。釣れた時の感触が忘れられず、なんとかもっと釣りたいという一心で、ルアーは?ロッドは?ポイントは?と情報に飢える。ここから数年間に居る者が、たぶん一番ルアー誌を読み、ルアー用品を買う。
やがて仲間も増え、コンスタントに釣れるようになると、誌面に望む情報が少なくなってくる。用具選びにも宣伝に惑わされず、自分の好みが優先されてくる。この頃になると、仲間内でのリリース談議にも熱が入る。行き過ぎた考え方に反発しつつも、仲間や情報に揉まれてリリースする機会が多くなってゆく。
諸事情が許されれば、そこそこのスズキを釣ると次はシイラだ、マグロだ、GTだと興味を広げて忙しくなる。
ここまでに自分のスタイルやテーマが見つかっていると幸運なのだが、いずれにせよ遠からず落ち着く時が来て、良き先輩になる。多くのルアーマンが、そんな道を辿っているのだろう。
ルアー誌は、しばらくは読者と共に成長する。しかし行き過ぎると中心となる購買層を外してしまい、部数が落ちるから、内容が一巡すると、何年かごとに初心者向けに戻ることがある。ルアーそのものも同じようなところがある。
しかし、これらを嘆くにはあたらない。ルアーの世界を経済的に、かなりの部分を支えているのは、ベテランよりも、そのジャンルの釣りを始めてから数年の人達だからだ。ベテランは主に情報や精神面で貢献しているということだ。
◇ギャング釣り
知り合いに、かつて引っかけ釣りをしていた人がいた。ルアーに興味を持ち、パーティに参加するうちに、自然にリリースまでするようになっていた。魚と人の痛みを両方知っているから、実に良い先輩になった。リリースをルール化した大会なら来なかった人物だ。だから、間口の広いパーティを維持しているとも言える。
ルアー界でのリリースの議論は活発だが、私には元々兄弟間の言い争いのように聞こえることがある。放っておいても互いの背中でも見ていれば、行き着く先は同じで皆、自然に不必要な数の魚は放すようになる。
本当に交流や対話が必要なのは、進む方角の異なる、例えばギャング釣りに代表されるような釣り方を良しとする集団の方だと思う。九十九里浜にはこれの遠征組がよく来ていて、その仕掛けは強烈だ。六号PEラインで手製のギャンク針。これで浜をウエーディングして隙間無くジャークしている。一団が通過すると、ルアーで細々と釣っていたポイントは壊滅状態になる。中には熊手のような天秤に幾つもの錨針、冗談かと思ったが真ん中にはルアーまで付けている人もいた。正に根こそぎ。彼らは、こうした釣り方にも楽しみを見い出しているから、そう簡単には聞く耳を持たないだろう。また、釣る方法以外はマナーの良いグループもいる。定期的なゴミ拾いやリリースまでしているのだ。彼らは最も産業廃棄物を出さない釣りだと言っていた。一理あるような気もするが、私は、他のジャンルの釣りに対しての影響が大き過ぎるという点で嫌いなのだ。
説得が無理なら、自発的に考えてもらうことが近道かと、パーティに招待してみようかとさえ思った。ルアーマンにも志向性はギャンク釣りに近い人がいるから、案外、進む方向の差は小さいのかもしれない。突然招待したら、仲間が嫌がるだろうなと思案中である。
◇おすすめ
お気づきだろうが、私は強制されるのも、するのも苦手とする。ただ、ここまで辿ってきた道は、出会いに恵まれたこともあり、良かったと思う。そこで読者方々の釣りが、より豊かなものになる助けとなればと、お勧めを幾つか書いておく。
▽山登り
海とは対極にあるような例えもあるが、長く平行して馴染んだ者には、互いの楽しみを倍加するように思える。釣りは、どうしても人より大きいとか、数が多いとか結果重視の側面が強いが、山は、たとえ目的が達せられなくても、行動日全体が良き思い出になる。
未経験なら、安全に梅雨明け直後の天候が安定しているとき、ちょっと高めの、空気の違いが歴然と感じられる所へ登ってみるといい。
▽餌釣り
若い世代だと、いきなりバスからルアーを始めて、餌釣りをほとんどしていない人がいる。やはり経験として餌釣りの難しさと、簡単さを両方味わっておいたほうがいい。ミミズは完璧な生分解ワームだし、イソメはワームより丈夫だ。たまたま始まりがルアーからだったというだけで、本来、餌釣りのほうが向いている人が相当数いるように思う。
▽ルアー作り
不器用でも、コピーでも良いから自分でルアーを作って、一匹釣ってみること。どんな大きさの魚でも、初めてルアーで釣った時の感激が蘇る。
▽サーフィン
上達と共に昂揚感が深まってゆく。それと、波に揉まれて木の葉になった自分に慣れておくと、いざというとき慌てないですむ。
これらは、私の心の内にあるギャング釣り的志向を、沈静化することに役立ったことである。
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2004年1月に岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。先日、サーフショップに入ったら、すごく懐かしい匂いがしました。現役は少ないですが、ルアーマンにも元サーファーは、けっこういます。

9キロに一匹の頃は…自選エッセイ集より【10】‐S

 かつて、その容易さと数釣りの魅力で浮気していた内湾のスズキ釣りから、再び、外洋スズキ主体へと志向を改めた頃。 まだ、K-TENも無く、逆風下の釣果倍増の方法も知らず、情報も乏しく、連日のアブレの中、試行錯誤に明け暮れていた。
 この年の手帳の十二月の終わりに“9キロに一匹”とある。書き記したときに、思わず天井を仰いだことを憶えている。 これは釣行日にルアーを投げていた時間で、おおよその投入回数を求めて、ワンキャスト三、四十メートル巻くので、それを掛けて、いったい、ルアーをどれだけ泳がせれば一匹釣れるのかを割り出したところ、一年を平均したら、9キロに一匹になったということである。
 この年、三百匹余り釣るのに、ルアーをリトリーブした距離は、二千七百キロメートル。どおりでリールがガタつくはずだ。
 現在の私の車の月間走行距離と同じ、といえばたいしたことないが、東京からルアーをオーストラリアまで超大遠投して、ひたすらリトリーブしたら、その間に三百匹のスズキがヒットしたというと、唸りたくなる。
 時速五・四キロで引いても五百時間かかる。今思えば効率の悪い釣りをしていたものだ。
 もしも、実際にオーストラリアから直線でルアーを引けたなら、着水直後のグレートバリアリーフでトレバリーがヒットし始め、パプアニューギニアあたりまで釣れ続け、その後空しく数百キロ泳いだ後、マリアナ諸島通過で青物の猛攻に会い、小笠原辺りまでヒットが続いたりして、もっと多くの魚が釣れそうだ。 もっとも、投げる方向を間違えて、オホーツク海でもリトリーブしたら、かすりもせずに手元まで来るかもしれないが。 ところで、9キロに一匹というのも、途中二十メートルで前後フックに二匹なんて入れ食いもあり、数百キロに一匹という時期もある。
 マイナス二メートルというのもあって、どういうことかというと、足下を波が越えるぐらいの岬状の小磯に立って、肩に竿を担いでいたら、垂らしていたルアーが背後で着水していて、スズキがヒットしてしまったのである。この時は、冷静な私でも、何事が起きたのか理解するのに間を要した。(写真の岬の先端で)
 それぞれの一匹にはドラマがあったのである。
 それが、平均化すると、一気にロマンも消え失せる数字が残る。ルアーがフラフラと東京湾を無事に横断してしまう様など想像したくない。
 あの頃と違って、最近は情報と道具の助けもあって効率はアップしているようだが、はたしてドラマは増しているのだろうか。
 要はやはり、何匹釣ったかではなく、思い出に残る日々をどれだけ得ることができたかだろう。
 今の私には三百匹釣ることはできても、二千七百キロメートル、リトリーブする自信はない。
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1995年10月、(株)週間釣りニュースさんで発行された媒体に掲載されたものです。私が、一番リールを巻いていた時期(一番多くアブレた時期)の事を書いてます。メインギアとハンドルがすぐダメになりました。

あなたの良き思い出のために

 K-TENには、90年から幾つかの機種の内壁に、題の文字が入れてあります。ご存じの方も多くなりました。
 始めは透明カラーを出す予定はなかったので、塗装が禿げるまで使い込んだ人のみに見えるようにしたつもりでした。 特に気に入ったものに入れたというわけではなく、できれば、設計したもの全部に入れたかった。でも、実際は開発状況で余裕があったときしかできませんでした。(ユメが少しコワレた方がいるかもしれない。スミマセン) 
 文字を決定する前には、何日も考えたものです。一度入れたら変更できないし、変な言葉を入れたら後悔するでしょう。
 だから、特別の言葉を見つけるため、その時まで自分が書いた、中学生ぐらいからの文章を読み返してみたのです。
 何十年も経ってから読むと、恥ずかしくなる言葉があるものです。それは、大人を気取って書いたもの、無理に難しい言葉を捻り出したもの、気の利いた決まり文句などでした。
 反対に、素直な本当の気持ちや、拙くても真実の言葉には長い年月に耐える力が在ることを知りました。大人になってから読んでも、当時の思いがそのまま伝わってきました。
 そこで、一生消えない文字を入れるからには、その時点では、少々照れ臭い言葉でしたが、今の本当の気持ち、製作意欲の源泉のひとつをルアーに込めようとしたわけです。
 それが、「あなたの良き思い出のために」でした。正しい選択だったと、今、思います。

other…メダカ

 釣りをする知人にも、メダカ、飼っている人、多いです。
 この頃、外飼いの睡蓮鉢に氷が張らなくなって、彼らも水面に居ることが出来るようになりました。一安心。
かっては、セイゴ、イワナ、ブラックバス、石鯛と、様々飼っていたことがありました。それが、今では手間が掛からないのでメダカだけ。写真(今日と、夏)の輪っか(手製)を鉢の上に置いてからは、水量もほとんど自動調節。大雨が来ても大丈夫。お勧めです。
 パイプは、夏に百円パラソルに遮光布を張ったものを差し込むため。これも便利です。
 いつのまにか、睡蓮鉢が9鉢になっている…。

抽象画とルアーマン…自選エッセイ集より【11】

 我が家のトイレの壁には、数枚の地図と細長い地球の歴史年表が貼ってある。
これを見て毎回(何が?)思うことがある。
たしか、日本の広さを本当に理解したのは、みずからオートバイに乗って一気に北海道まで駆け抜けたときだった。それまで使っていた列車や飛行機のときとは、距離の感覚に大きく違いがあった。
また、初めて通る道なら遠いと感じても、繰り返し通って慣れると近くなってゆく。測量上の地形は変わるはずもないが、我々の頭の中の地図はえらく歪んでいるようだ。
釣行の度に助手席で熟睡できる相棒は、どんなに遠い海でも三十分でいけるものだと思っているフシがある。
これが世界となると、その広さを本当に把握することは少々やっかいだ。他人の運転する飛行機に乗るしか手段がないので、回数を重ねる程、限りなく狭く感じてくる。ほとんど、ウトウトしているからなおさらだ。
カナダまで時速九百キロの速度で片道八時間ということは、相当遠いはずだが、どうも実感がない。東北高速道路を時速百キロで、同じ八時間かけて自分で運転していく青森なら、その距離が実感できる。ということは、時速九百キロというスピードがどれくらいのものか感覚的に掴めれば、カナダへの本当の距離も把握できる、はずだ。(何も、我々の乗っている地球が太陽もろとも銀河系内を、秒速220キロでぶっ飛んでいるスピードを想像せよ、とかの話ではないので)
車で速度を上げていくと、視界の流れ方が変化してゆく。たぶん、その延長上に時速九百キロがあるから、訓練すれば、なんとか想像できる。視界が極端に狭まってゆき、やはり、大空でないと吐き気がしてくる。

私には、生活上全く役には立たなくても、できるだけ正確に知りたいことがある。それは、本当の広さとか、距離とか、数とか、時間など、ごく基本的な事だ。ありふれた事とはいえ、感覚と一致させたいのである。
だから、思い立つと、高尾山から一番近い海ということだけで、神奈川県を縦断して、相模湾まで歩いてみたりしたこともあるわけだ。まあ、これは、サンダルだったこともあり、足を怪我して、距離の正確な把握には失敗したのだが、図らずも早朝の海が、いつもにも増して綺麗に見えた事は、収穫だった。

距離とは、時間×速度。その片割れの時間となると、さらに難しい。そもそも、誰が言ったか宇宙が生まれて百五十億年とか、地球が出来て四十五億年というのがピンとこなかった。たいそうな年数というよりも、イメージとしては、むしろ逆だ。数字の印象から、倒産した企業の負債額や、一群の魚の産卵数といった生々しい数を連想してしまい、宇宙や地球がそんなに軽くていいの、という感じ。
それらは、もっと遠く、もっと遙か昔であって欲しいという願いが、どこかにある。せめて、砂浜の砂粒の数ぐらいのイメージが欲しい。
これも確かめる必要があった。
◇抽象画
スピードに対する感覚はどうにか捕らえられたように、かつて、時の長さというものをこの目で見えるように、ある作業をしたことがある。
起きている間だけなら、一年の長さは誰にでもわかる。もっとも、その間、四ヶ月も寝ていることと、今の一年は、子供時代の一年より短く感じられるのが、問題だが。
そこで、まず大きなキャンバスを用意して、そこに三ミリぐらいの点状のものを描いていった。ひとつずつ調色して、すべて異なる色の一点を一年として、百点描けば百年になる。簡単だ。
ガンバルと一日で七百年分描けたので、三日あれば、キリストの生まれ年まで遡ることができる。単純には、実際の時計で、二十時間かかって、西暦の長さが想像できるようになった。これはちょっと安易すぎるかと思いながら、なお作業を続けて、一ヶ月で二万年。半年で十二万年。一年で二十四万年に達したところで、キャンバスがビッシリと点で覆い尽くされた。一応一枚完成。(ヒマジンというなかれ、いっぱしのルアーマンなら、これくらいリールを巻いているし、シャクッテいる。行為は、さして変わらぬ。)  
まだ地球歴でいえば、氷河期を越えることすら出来ない。脊椎動物の発生までは、後四億年以上ある。四十五億年前の地球形成までは、この一年で二十四万回も繰り返したことを、さらに一万八千年も続けるということだ。
やはりというか、当然というか、とんでもなく長い時間だと、ようやくわかった。もちろん、実感できるという意味において。そして、~の果てまで行こうとしたことのほうは、挫折したことになる。

この頃の習作(十万個以上の点で構成)が一枚あったのを、○○社が買ってくれたから見た方もいるだろう。
何の絵?と聞かれても、答えようがなかった。

その後、数年をかけ、こもりきりで(当時、山口M江が引退したらしいのだが、それを知ったのは数年後。)約百万回、筆を運んだ私は、ある日、外界の美しさに目覚め、釣りを再開することになる。今度は、部屋にこもることなく徹底的に外へ出っぱなし。K―TENが作られるのは、そのまた数年後のことになる。

今や、デジタルカメラだと、一枚数百万画素なんて当たり前。一瞬の事。しかし、それを手作業の筆でまともに描くと、トータルで四年かかる。
単位や数字というのは不思議なもので、生身の人間の実感とは離れやすい。
かつて、数年を賭して続けた行為が教えてくれたのは、意外なことだった。飛躍するようだが、それは、一日、一年、一回、一人、一匹。そして諸々のひとつ。それぞれの重みを、もう一度、噛み締めねばならないということだった。
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2000年11月に岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。たまには魚釣りから、ちょっと離れて…。画像は、どちらも過程で、部分です。全像だと潰れて青色にしか見えないので。我ながらよくやりました…。(これが自力で解いたヘプタモンドの集合と気付いた人はメマイがするかも?)