無事を願って…自選エッセイ集より【21】

SW,岳洋社

免許の更新に行ってきた。奇跡が起きて、初めてゴールド免許になった。好運とGPSレーダーのおかげである。
講習会場に行ってみると、駐車場からして雰囲気がいつもとは違う。軽とファミリーカーしかない。車高を下げている下品な車は自分だけのようである。講習時間は短く、三十分。係員の慣れすぎた説明の優しさは、免許停止講習のときとは雲泥の差だった。
帰り道に、会場で隣席したオバチャンの軽自動車が四十キロに満たない速度で前を走っていた。優良ドライバーの運転とやらを何気なく見ていたら、なんと最初の赤信号に気付かず交差点に進入して、他の車のクラクションの中を強引に走り去っていった。差し掛かった車が、若者の乗るスポーツカーでなく、重いワンボックスカーだったら、制動距離が長引いて衝突しただろう。
優良免許更新の帰りに事故。初詣で事故とか、大物を釣った帰り道に一発免停(これは私)とかもあるが、いずれも笑えない話だ。
そう言えば、何度も事故を起こす人というのは、反省はするものの忘れた頃にまた起こす確率が高いように思う。
数ヶ月前、広い駐車場で五十メートルも先から大型乗用車がバックで走ってきて、そのまま私の車の左側に突っ込んで止まった。すぐさま、人の良さそうなお兄ちゃんが降りてきて謝ってくれたのだが、聞けばまだ若いのに五回目の事故だという。半年に一回のペースになる。保険会社の担当が愚痴るのも仕方のないところだろう。
後日、本人からお詫びに伺いたいなどと言ってきたが、あの運転だと今度は家に突っ込まれそうな気がして、断った。最近、地元だから彼の車を見かけたのだが、バンパーの凹みが増していた。免停にもなっていないのが不思議だ。
釣り仲間の中にも、助手席には乗りたくないなと思わせる人がいる。性格は愛すべきところがあり、共に釣りをするのには申し分ない。しかし車を買ってから五万キロもの間、オイルを換えずにエンジンをブローさせたり、釣れないからといって、目の前にいるカニにイタズラして竿先をちょん切られたりしているのを知ると、運転のほうも心配になる。
他方、助手席に乗っていて、安心出来る友人には性格に共通したものがある。それと現役はもちろん、オートバイに乗っていた経験があることも安心を増す要因だ。
彼らは、常に路面の状態を見ることを自然に身に付けている。いくら舗装路といっても、水溜まりや小さな障害物など、車の挙動を乱すものはある。オートバイなら、カーブ中の小石ひとつで吹っ飛ぶ恐れがあるので注意せざるを得ないのだ。 それと、前輪と後輪の働きが、加重の掛け具合で全く変わることを承知しているから、カーブ中、無茶な加速やブレーキングをしないものだ。
現行のほとんどの四輪の市販車は、快適ではあるがオートバイのように人車一体になってというような感覚は持てない。 振動の低減のために使われている柔らかいブッシュゴムが、ボディと足回りの間にあるせいで、例えばタイヤの摩擦力の変化などが、尻や手に伝わってこない。それゆえ、人の感覚の代わりにセンサーが働きパワーを制御してくれるトラクションコントロールとか、ブレーキ制御のABSが装備されてきた。少々荒っぽい運転をしても、とりあえず車のほうで、何とかしてくれる。大多数にとって安全を図る装置であることは疑いないが、かなりボーッとしていても走れるところが、怖い。
ところで、路面への注意が行き過ぎたり、四方八方を気にしていると、それはそれで危ない思いをすることがある。
自分の例でいうと、ずっと以前正面衝突事故でフロントガラスに突っ込み、失明しかけた事があった。半年後から急速に回復したのだが、弾みがついたのか測定できる視力2・0を大きく越えた期間があった。これには医者も私も驚いた。遠くしか見ていないアフリカの一部の人が5・0あるとか聞いたことがあるが、そんな状態だった。教室ぐらいの部屋の端から端の新聞が読めたのだ。
この期間は走っている車から、前方の路面に転がっている釘やビスまで見えてしまうために、いつも咄嗟の判断を迫られ非常に疲れた。また、海岸道路を走行中にスズキを発見したこともある。不意に視野の中の海面の一点が、渦を半回転巻くように動くのが見えた。スズキのモジリである。発見のタイミングが悪く、危うく車ごと海にダイブするところだった。懲りずに早速友人とルアーを投げると真っ昼間なのに三匹食ってきた。
いくら視力が良くても、やはり良い事と悪い事は等分にやって来るのだ。 現在は視力は衰え、全般に遠くしか見えなくなった。お約束の老眼だ。車中からスズキは発見出来なくなったが、何かに激突する心配は無くなったし、路上の釘や小さな生き物に気付かなくなったので疲れない。その上、景色や女性は以前より確実に綺麗に見えるようになった。十メートルも先の誰かの歯に付いた食後の食いカスなど、見えない方が幸せというものだ。
人生も半ばを過ぎてくると、友人知人の中で不運な事故に遭ったという話を聞くことが多くなってくる。フッと思うことには、どちらかと言えば、ノホホンとした人の良い人達のほうが、その反対より比率が高いように感じるのは錯覚なのだろうか。海に消えた釣友を始め、山仲間や同級生の在りし日の姿が目に浮かぶ。
その分野で経験者であったとか、知識や運動神経に優れていたとか、日頃の行いとか、まして先祖のタタリとか、そういったこととは無関係に、ある日ある時、超多面体のサイコロが無慈悲に振られ、事は起こるのだ。
注意しろと言ったところで、先の運命など判らない我々には、実感を伴わない限り自動車免許の更新講習ほどの効果しかない。
もう少し、疑い深くなったほうが良い人達がいる。 海ではウエーディングをしたり、磯に立つ時、自然に千に一回は平均波高の二倍以上の波が来る。つまり罠のように数時間に一回あることが常識だ。そして沖に巨大タンカーや潜水艦が通って波が重なったらどうなるのか。さらにその上があることも疑わなくてはならない。たまたまその時、魚が掛かっていたら自分がどうするのか、あらかじめ覚悟しておく必要もある。
潮位だって、タイドグラフをそのまま信じてはダメだ。あれは大まかに示してあるだけなので、参考にはなるが様々な外因によって相当の誤差が出る。
そして、車に関しては、こと房総の深夜であるなら、青信号だって法規どおりにそのまま進んで良いとは限らない。この十年の間に、青信号で直進中の、釣り場に急ぐ私の目前を、数回ノーブレーキで横切られた。一度は無灯火だったことさえある。考えてみると、街道沿いにいくらでもある飲み屋には、車以外のアクセス方法がないのだ。
警察の取り締まりは何故か陽気の良い日が多いから、天候不順の時、つまり昼スズキに良い日の前後ほど酔っぱらいも走っているということになる。場合によっては、青信号も疑ったほうがよいのだ。
友人達から、おまえは人がイイ、などと言われる人こそ無事でいて欲しいと願うものである。
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2004年9月に岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。 車の写真は十数年前、車雑誌から取材があったときのもの。日本中駆け巡ったのに愛車の写真がこれしか見当たらない。もう何処かで廃車になっているのだろうけど。

Posted by nino