代官山(同潤会アパート) 1968年頃の写真

写真を整理していたら、昔住んでいた渋谷区、代官山の街の旧同潤会アパート(関東大震災の教訓から日本初の鉄筋コンクリート造りの集合住宅)を撮ったものが出てきました。今から四十年近く前のものです。私、まだ子供です。
駅の西側に三十六棟の異国情緒たっぷりのアパート群がありましたが、再開発で、現在は三十六階建ての高層ビルを中心とした街に一変しています。
計画が公表されて、無くなると判ってからはたくさん記録があるようですが、それ以前となると、あまり見かけません。たぶん、私も東京にいた時には東京タワーに上がったことはなかったように、当の住人はわざわざ自分の街をテーマに写真を撮る方は少なかったのでしょう。 (写真は色褪せていたので、簡単な画像復活処理をしました。)
当時、私の家はアパート群に近接した一般家屋だったのですが、この街が他の地域とは違うのは、少し足を伸ばせばすぐ気付きました。普通のアパートやビルが建ち並ぶところと、統一デザインが施された古い同潤会アパートに囲まれたところとでは雰囲気がまるで異なりました。
それと、渋谷からひとつ目だというのに(初乗り十円ぐらい)駅前にはほとんど店はありませんでした。憶えているのはケーキ屋とラーメン屋ぐらいです。
また、その後は知りませんが、渥美清さんもこの街の住人で、子供にもニコッと挨拶してくれる方でした。寅さんより紳士的なイメージがしました。
写真は、もっとたくさん撮ったはずなのですが、度重なる引っ越しで失われたようです。子供の私が何故、写真をまとめて撮ったのかは、想像は出来るものの正確には覚えていません。
後の代官山は、日本のモンマルトルとか言われて人気が出て、ヒルサイドテラス辺りからお洒落な街へ急変していきました。

そして、この後、再び新宿へ戻った高校生の時には、あの西口超高層ビル群の建設ラッシュを、始めから見せ付けられることになります。多感な年頃で何かあると帰りによく立ち寄ったものです。夕日が沈む方向というのも余計にいけなかった。今度は一枚も写真を撮っていません。
自分が住んでいたふたつの街の激変ぶり。普通なら道路の配置ぐらいは残っているものですが、痕跡も無い。馴染んだものの完璧な消滅。
嘆くことすら何ものかに拒絶されたような気がしたものです。私が一挙に自然志向になった理由のひとつと思われます。 






駅ホーム渡り部分

Posted by nino