記録と記憶…自選エッセイ集より【5】

SW,岳洋社

 釣りの記録方法として仲間の例を挙げると、魚拓や剥製。文章に残す人。JGFAへの申請。耳石や鱗を取る人。歯形の付いたプラグを集める人。それぞれだが、圧倒的に写真派が多い。
私はと言えば、先日、一本のフィルムを現像してみて驚いた。
そこに、自宅の小さな庭には不似合いに育ってしまった満開の桜が写っていたからだ。しかも2枚。番号でひとつ前に、カナダでフッと休んだ駐車場でのスナップがある。釣りに行ったのだし、そのあとスキーもやったのに、その一枚だけ。
番号でひとつ後は、いきなり夏になって、シイラだ。それも、海の中の綺麗なシイラが一匹写ってるだけ。そしてまた桜が咲いている!次にどこかのホテルの部屋。ヒラマサを釣っているのは、ニュージーランドだ。ラストが英語の看板。
うーむ。ということは、2枚の桜は撮った年が違うことになる。この頃写真を撮らなくなったとはいえ、まさかこれほどとは思わなかった。あの目眩く一年の記録がフィルム一本に収まってしまっている。
そういえば、数日前の青森行きでも、カメラを持参しているのに一枚も撮ってこなかった。本当は漁師のブリ定置網漁に見学同船したときに、撮りたいシーンがあったのに、カメラを車に置き忘れてしまった。ベテランのK氏が網上げで甲板にこぼれた、たくさんの石鯛の稚魚を、漁師が忙しく働く中を邪魔しないよう気を使いながら、拾って海に帰している姿を撮っておきたかった。
今となっては、どうしようもないが、あの情景はたぶん、この先忘れることはないだろうから、ヨシとするか。
立ちつくして
いつ頃から写真の枚数が減っていったのだろう。たしか、山登りに明け暮れた時代は膨大な数のスライドがあった。後年、それをほとんどすべて、欲しがった後輩に預けた。それは、後で思い出に浸ろうと見返した写真が、どれも自らの記憶の中にあるものを越えることはなく、むしろ、小さく修正してしまうことに気付いたからだった。たまたま撮った写真の周りや時間的前後だけが誇張されてゆく。
違う!この朝焼けはもっとキレイなはずだったし、あの全山燃える紅葉はキレイなばかりではなかったはずだ。そう思いたかった。冷たい岩肌の感触まで記録し再現する事の難しさは承知しつつも、その方法を探してあがいた。
しばらくは、せめて、目そのものに焼き付けようと、幾つものシーンの前で、立ちつくしていたのである。
再び頻繁に写真を撮り始めたのは、やはりルアーフィッシングで釣る度に魚拓をとるのは面倒になったときと、リリースするようになってからだ。ただ、これは別の意味で少なくなってゆく。後で見返すと、サービス判の中のスズキ達は悲しいほど同じに見えてしまう。実際は貴重な一日にそれぞれが異なる感動を与えてくれたのに。
結局、私は進歩なしで、今日も海の前で立ちつくす。
ただ、そんな日々を送っていると、アブレた日でさえ何かいとおしくなってくる。今日はアブレましたという写真は情けないので、記念に貝を一個拾ってくることが何年か続いたことがある。これは、すぐに何百個になってしまい、公共物の私物化になりかねないので止めた。今だ家中に貝が散らばっているのはそのためで、いずれ返しにいこうと思う。
ヒラリー
ずっと昔、エベレストに初登頂したエドモンド・ヒラリーは、下山後、本当に頂上に達したのか疑いを持たれたそうだ。彼が証拠を持っていなかったからだ。
当時としては無理もなく、スズキの十五キロを釣り上げたことを写真も無しに信じろというような、孤高の記録であった。後になって、2番目に登った人が、彼の残した物を頂上で確認するまで、疑心暗鬼の目に晒されていたと聞く。
それでも、仮に証拠がなくても、彼のことを信じた人は大勢いた。彼の人となりがそうさせたのだろう。それに、日本の未踏岸壁の初登記録の中にも厳密には証拠の無いものがあった。人を信じることにウブな時代だったのだ。
現代では、GPSもあるし、マイナス30度でも作動するカメラもあり、ヒラリーのような問題はない。記録は悪意が働かない限り正確だ。
しかし、ヒラリーには記録はともかく、黙って確実に持ち帰ったものがあった。それは、サーの称号がありながら、老年期になって再び彼をチベットに向かわせた、強烈な記憶だ。歴代の登山家を見ていると、そのようなものが、記録方法の充実と共に稀薄になっていくような気がする。
魚なら、リリースするつもりで釣行して、たまたま記録魚が釣れても、そこにカメラがなかったら持ち帰れるが、景観とかはそういかない。その時、人はどうするか?たいてい、目の奥に焼き付けようと集中して、記憶に留めようと必死になるだろう。これが、後々、最良の一日として、蘇る時がくる。
シヤワセの分量
我々は、計らずも、一生を通じて記憶に残る一日が、共通してある。例えば好きな人と初めて〇〇した日。あるいは失恋した日。結婚した日。その反対の日など。
次にこれはかなり積極的に行動しないと得られない、ルアーマン特有の事がある。それは貴重な一匹をあげた日。もしくはバラシた日。友人との印象的な釣行など。
もしも、人間が、平等であるなら、シヤワセの分量は一生を通じて、どれだけ記憶に残る日々があるかということなのかもしれない。漫然と過ごせば、その数は限られる。
過ぎたばかりのこの夏は、たぶん、八十回しかない夏のうちのひとつだった。残念なことに、ひとりひとりに無限の季節が巡ってくるわけではない。私にとっては、おそらく後四十回はないが、今年の夏は、けっして忘れないだろう。
このままいけば、私のシヤワセの分量はたいしたものになりそうだ。おめでたい奴かもしれないが、心の内にあるカメラを信じて良かったのだと思う。
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1999年11月に岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。これもリクエストです。ありがたいことです。訂正箇所があるとすれば、最後のほうの、‥後四十回‥というのを‥後三十回にしたほうが正確です。(^o^)山の絵は、若かりし頃の点描画、「前穂高4峰正面壁」。奥又白の池から登攀ルート確認のため、何日か眺めていました。

Posted by nino