ノスタルジィ…自選エッセイ集より【1】

SW,岳洋社

酔い方にも酒の種類によって、違いがある。賑やかな席では気付きづらいが、こうして一人で酒を飲んでいると、それがよく解る。
ビールは、気を荒れさせる所があって、静かな夜には似合わない。日本酒は、味は好きだが、どうもグチっぽくなる。ワインは、つい皮肉のひとつでも言いたくなるから不思議だ。
もちろん、これは私の場合である。何かアルコール以外の成分が作用しているようだ。酒の本質は、その不純物の中にこそ秘められている。
そこでウイスキーだが、この添加剤の入ったエンジンオイルのような色の液体は、思考をひたすら過去へ遡らせる。かといって、センチメンタルにならないのは、あたかもゴムを伸ばすような強引さを伴うので、やがて素早い揺り戻しが待っているからだ。〔フライでカスミ〕
この時までに心の何処かに滑走路を作っておくと、うまい具合にそのままゴムに弾かれて、飛ぶことができる。
◇小学生
私は新宿で生まれて、小学生、中学生時代は渋谷の代官山というところで育った。今でこそちょっとオシャレな街として知られているようだが、当時は、店といえば駅の側にケーキ屋さんがひとつあるだけだった。いつも甘い匂いが充満している、古ぼけた駅という記憶がある。
他には、すでに築何十年という異国風のアパートが何十棟とあり、同級生の多くが暮らしていた。都会には珍しく緑と坂のある街並みは、子供には退屈で、遊びはもっぱら釣りに行くか、渋谷のデパートの中。小学生の特権で、騒いでも怒られることはなかった。
ある日、三水という釣り具屋に入ると、見慣れないものがあった。金属片に羽付の針が付いた飾りや、プラモデルの魚の腹に針のぶら下がったものがあった。初めてルアーを見た。お年玉の残りで橙色に黒い点々の付いたスピナーと、アブキラーかレーベルのどちらかだと思うが、プラグを買った。
しかし、使い方を知るわけもないので、ルアーで魚を釣ることができたのは、ずっと後のことだ。まだしばらく餌釣りが続く。
この頃、小学生だけで東京湾奥の有明や夢の島近辺にハゼ釣りによくいった。まだ埋め立て工事中のところが多く、殺風景で遠くにビル群が霞んで見えた。子供心にはこの世の終わりのようだとさえ感じていた。
夕刻になると、煙突の先に今よりもっと大きな真っ赤な太陽が沈む。振り返ると赤い夕日を浴びたボラがキオツケしながらポーンと飛んでいた。キタナクてクサイところだったが、東京で一番広いところとして、けっこう気に入っていたのである。  〔それと、ハゼ〕
三十数年後、恒例のFショーに有明のビックサイトが開催地となって、近辺をうろついてみたのだが、いったい、あの時釣りをしたところは何処だったのか、さっぱり判らなかった。 それまでは百年後の未来を、できれば覗いてみたいと思っていたが、こんな気分を味わうのなら、もしもチャンスを貰っても断るだろう。
◇GTR
中学生になると、もう少し方々に足を延ばすようになった。小遣いが知れているので、主に津久井湖や三浦半島止まり。たまに、釣友の兄貴が愛車で城ヶ島まで連れていってくれた。             すでに、ダンプとタクシー相手に二度正面衝突事故に会いガラスを突き破っていたので、本当は他人の車に乗るのは大嫌いなのだが、この時は別。何故なら、その車は初代GTRだったからだ。我が家の車ではありえない加速力で、第三京浜道路を飛ばすと、あっという間に海に着いた。エンジン音がいつまでも耳奥に残っていたものだ。
今思えば、釣り竿片手に十九歳と十四歳が二人の三人組。オソロシ。
◇オトナと子供
中学三年の夏には、遠くにいけばもっと大物が釣れるのではないかと、M君と共に東北方面にいった。家を出るときのザックの重さははっきり憶えている。二十四キロプラス竿ケース四キロ。最初は母親に手伝ってもらわないと立つのにも苦労したが、なんとか金華山を目指す。 釣り雑誌に大型スズキが釣れると書いてあったからだ。私は自分で思っている以上に単純なのかもしれぬ。
釣りのほうはたいしたものも釣れなかったが、旅としては刺激に満ちていた。M君と小さな困難を解決していくのが、誇らしくもあった。
金華山の展望台で、二人で相談して、もう少し遠くに行ってみようかということになった。海はもう十分だ、次は山へ行こうとどちらともなく言い出した。行きの車窓から見えたあの山なら行けるかも知れない。
仙台から福島へ。そして、スイッチバックで登っていく電車に乗り、峠という駅員のいない駅で降りた。それから、果てしなく続く林道と山道を、海用の竿を杖がわりに登る。
そのうち、M君とケンカになった。理由は互いの荷物が自分のほうが重いと言って譲らなかったからだ。交換してみると、重量は軽くても、肩ひもが痛かったりして、どっちもどっちだった。一日中歩いても何処にも着かないので、焦っていたせいもある。
夕刻迫る頃、一人の登山者が、我々に追いついてきた。コンチハと陽に焼けた笑顔で言って、そのまま追い越していった。その人のキスリングザックは、どう見ても我々のものより大きく重そうなのに、足取りは確かで軽やかでさえあった。後を追ってみたが離されるばかり、じきに見えなくなった。私もM君も無口になった。
たったこれだけの事で、時間にして数分見えていただけの人なのに、今でも鮮やかに思い出す。その人に初めて本当のオトナの男を感じてしまったのだ。我々が、彼に遠く及ばない子供であるという自覚にうろたえ、また、自分たちの些細なケンカを恥じた。
いったん帰ろう、とM君にいうと素直に頷いた。
帰りに寄った、姥湯という秘湯の露天風呂から仰いだ満天の星空が忘れられない。都会や海で見るより、何倍もの星が目前にあった。
M君と、
『山もいいな』 『そうだな、いつかまた来たいな。』                                                                                            『星って、何であんなに綺麗なんだろう。考えてみれば、黒い布に穴を点々と開けただけともいえるのに。』
『綺麗に見えるのは、たぶん星そのものじゃないよ。あれが、遙か遠くにあることや、今見ている光が実は何十年も前のものだということを、なんとなく知っているからじゃないか…。』
◇現在
明日から、二週間程ニュージーランドの沖合に行って来る。中学生の時と、気持ちの上で何か変わったことはあるのだろうか。あの憧れた山男の背中に見えたものを、今の私は持っているのだろうか…
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以上は、2000年7月に岳洋社さんの「SW」に掲載されたものです。リクエストに応えて、載せることにしました。今宵の酒の、お供にでもなれば…。

Posted by nino